経済は人々の生活が集まったものであり、その生活を支える企業活動でほとんどが成り立っている。 マクロ統計というのは、人々の生活の全体像である。
成長率がなかなか上がってこないとか、賃金の上昇率が鈍いとかのマクロ統計は、全体を見ての数値データでしかない。 それでもって、自分自身の問題とみなしてしょぼくれる必要はさらさらない。
ところが、マスコミ論調を見る限りにおいては、マクロ指標に国民のすべてが当てはまるような気にさせられる。 景気はなかなか上向かない、デフレ脱却も息切れ気味だといった報道に、自分もその中にいて先行きが大変だなんて思ってしまう。
意識の切り換えをしよう。 全体像とか平均値にとらわれていると、気がついたらユデガエルになってしまう。 全体と一緒にフラフラ迷走していて、そのうち全体とともに沈んでいくことになりかねない。
冗談ではないよ、自分だけでも現状のもたもたを脱出してやるわい。 そういった自助の意思と意欲でもって、なんとか立ち直ろうと頑張るのも自由である。 この自助自立の動きこそが経済の本質なのだ。
景気がいまいちだとか、とりわけ地方の出遅れ感が目立つとか言っていたところで、何の足しにもならない。 今般の内閣改造で地方創生大臣というのが生まれたが、相変わらず予算をばら撒くだけといった発想では地方経済の活性化にはつながらない。
大事なのは、あなた自身がこのままユデガエルになりたくない、なんとか浮上しようという意思と意欲でともかく動き出すことだ。 その時の基本は、自分も頑張って働くが、自分のお金にも働いてもらうということ。
いまの仕事には、人一倍どころか三倍ぐらいこなす迫力でぶつかっていこう。 そして、預貯金に寝かせたままにしてある資金を、できるだけ多く長期投資にまわすのだ。
自分自身の働きが右足とすれば、お金に働いてもらうのが左足となり、二本の足でしっかりと立って力強く生きていく。 両足の働きでもって堂々と経済的自立を果たしていくのが、成熟経済での生き様である。
たとえば地方創生だって、地方の人々が預貯金から長期投資に本格シフトするだけで、数年もしないうちに活力が自然発生してくる。 なにしろ、長期投資で得る100万円は東京に住もうが地方に住もうが同じ100万円である。 地方の方が生活コストが安い分だけ、100万円の使い勝手が大きく有利である。
長期投資で得られる100万円を地方でどんどんつかい始めたら、地方経済はいくらでも活性化していく。 ありがたいことに、預貯金残高は概ね人口に比例している。 地方の人々も十分以上に長期投資という武器を持っているわけだ。
要は、自助自立の意思と意欲で行動することであり、そこへ本格的な長期投資をかましてやることである。