すごくデリケートで慎重に意見を述べなくてはならない問題だが、今日は敢えて自分なりの考え方を展開してみようと思う。 結論から先に述べると、労働問題でも規制を強化するとか緩和するとかの日本的な画一主義を脱して、個人個人の自由なる判断と選択に任せるべきだと主張したい。
ガンガン働きたい人は好きなだけ働けばいい。 仕事よりも自分の生活重視の人は、食べていけるだけの仕事を選択すればいい。 企業など雇用サイドが労働基本法の一日8時間労働を順守するのは当然としても、働く方はそれに縛られることなく自分の意思と価値観を優先すればいい。
そうしてやれば、仕事を通して自分を高め可能性をトコトン追求したい人は、いくらでも上を目指せる。 一方、無理やりの8時間勤務は自分の意思で避けられるから、過労死のような問題も減っていくはず。 雇用サイドが多様な勤務スタイルを認めるだけで、この問題はすぐ解決する。
そもそも、労働問題の多くは厚生労働省が間に入った労使間協定で話が進んでいる。 いってみれば、厚労省の役人と大企業そして連合など労働者代表が主体となって、いろいろ決められていくだけのこと。
そこに中小企業の声がどこまで届いているのか大いに疑問である。 早い話、ベンチャー企業も含め多くの中小企業には労働組合もない。 だから労働環境は劣悪なんだろうと決め込むのは短絡的に過ぎる。
日本の労働者の70%以上は中小企業に勤めており、日本経済の屋台骨をしっかり支えてくれている。 大企業のような福利厚生施設もなければ、毎日9時5時の仕事できちんきちんと給料をもらえるような安定感にも欠ける。 それでも、多くの人々はまじめに働き家族を養っている。
そういった厳しい環境を乗り越えた中小企業の中から、次の日本経済の主役が飛び出してくるのだ。 成熟経済となった今、かつてのような誰もが乗っかれた右肩上がりの三角形はない。 大企業だからといって安穏としていたら、あっという間に脱落させられる。
その横で、経営者も労働者も上を目指して鍛え抜かれた企業は一気にのし上がっていく。 それが成熟経済を活力あるものにしていくダイナミズムである。
もう日本経済を象徴してきた右肩上がり三角形の勢いはない。 したがって、みな一緒でなければいけないといった画一的な価値観を押し付けるのではなく、企業も個人もそれぞれ自分の生き様を思う存分に追及すべきである。
これまで日本の指導層を任じてきた政治・高級官僚・大企業・労働貴族などに頼っていては、自助の精神は高まらない。 それは脱落を意味するだけのこと。