活力と成長力に富んでいる新興国の経済と比べ、成熟経済というものは成長率も鈍化し面白みに欠けると考えがちである。
実際、新興国の人々は朝から晩まで眼を輝かせて仕事に励んでいる。 より豊かな明日を信じて身を粉にして働く姿の前では、疲れたとかの声はかき消されてしまう。
それに比べ、日本もそうだが先進国では豊かな生活というものを手に入れてしまった。 人々の間では、さらなる刻苦精励を唱えるよりも、むしろ過労だとか体調を崩したとかの声がやたら多くなっている。
そういった成熟経済ではあるが、意外とというか驚くほどダイナミックに動いているのを見過ごしてはいけない。 たしかに成長率は鈍っているが、限られたパイを奪おうとする企業活動は新興国とは別の意味で激しいものがある。
その企業間競争だが、拡大し続けるパイにどれだけありつけるかが勝負だった高度成長期とは違う。 発展期よりはるかに巨大化した日本経済のパイではあるが、もうそれほど大きくなっていかない。 そこで、どうシェアを伸ばしていくか、どう勝ち残っていくのか、各企業にとっては熾烈な競争の毎日である。
もうひとつ、やっかいな問題が出てきている。 それは、経済の主役が企業から消費者に移ってきていることだ。 かつて発展期から高度成長期までは、人々がより豊かな生活を実現しようと欲しいものを次から次へと買っていった。 とにかく買いたいというニーズが爆発していたから、完全に売り手市場つまり企業の供給力が主体の経済構造だった。
ところが、成熟経済では買い手市場にシフトしていく。 もう人々は欲しいものはほとんど手に入れてしまった。 日々の生活消費財は別として、家電や車など耐久消費財に関しては、どう買い替え需要に応えていくかが企業に課されてくる。
持っていないからとにかく買いたいニーズから、そろそろ買い換えようか、じっくり各メーカーの品定めをしてみてからの消費者ニーズに変わってしまっている。 日々の生活消費ニーズにおいても、不祥事などを起こしたら消費者の不買運動を食らってしまう。
そう、成熟経済では生活者が主役となり、企業は消費者ニーズにどう応えていくかが問われるようになる。 もはや、安くて性能さえ良ければといった企業の押し込み論理は通用しない。 いかに生活者の期待に応え続けていくかの経営センスが勝負となる。
これからはっきりすることは、優勝劣敗よりも適者生存の論理で企業の淘汰が激しくなることと、企業の敗者復活が日常茶飯事となることだ。 ものすごくダイナミックな栄枯盛衰が企業間でみられるようになるだろう。
個別企業を選別するわれわれ長期投資家にとっては、ますます面白い展開となっていくわけだ。