世に一般的な投資は、マーケットにおける価格変動を相手にして、投下資産の増加を狙う。
ということは、ひたすら株価などの価格を追いかけるわけで、限りなく無機質な作業となる。
つまり、投資といっても、値ざや稼ぎのディーリングと五十歩百歩である。
それが極まって、最近では1秒間に1000回もの高速売買が、マーケットで大きな顔をするに至っている。
もちろん、相場動向に対し思惑というものが入り込む余地は、いくらでもある。
そういった思惑も、やはりこれから先の価格を相手に、多くの投資家たちがどう行動するかを読むだけのこと。
あるいは、株価などが上がれば上がるほど、より多くの投資家が儲けを求めて買い群がってくるだろうと強気を張る。
逆もしかり、売りがはじまったら一刻も早く売り逃げようとなる。 まさに、株価を買って、株価を売るわけだ。
一方、長期投資は限りなく人間っぽい。 人々の生活に大事と思われる企業を、ひたすら応援しようとする。
応援するという以上は、これはと思う企業の株式が、なんらかの理由で大きく売り込まれてきたら、それに知らぬ顔はできない。
皆が売るなら売れ、こちらは断固として応援するぞと、売り込まれている株式に買い向かう。
いってみれば本物の企業応援団である。 だから、感情まる出しとなっても構わない。
むしろ、感情まる出しぐらいでなければ、とてもではないが暴落相場を買いに行けない。
また、応援感情まる出しだからこそ、状況が良くなって儲けたい投資家たちが買い群がってきたら、なんだとなる。
なんだ、状況が悪かった時は情け容赦もなく叩き売ったくせに、手のひらを返したように買ってくるとは。
それならそれで、儲けたい儲けたいでガンガンに買ってきている「にわか応援団に、しばらく応援を任せようか」となる。
そして、薄く薄く売り上がっていく。 安く買っておいたから、たっぷりと投資収益を得られる。
この人間っぽさを横において、より理性的に投資しようなんていいだすと、たちまち株価追いかけ投資に引きずり込まれる。
すなわち、割安かだとかを持ち出して、現在の株価に対しどう行動するかで、シャカリキとなってしまう。
ところで、長期投資家が応援する企業は、別に急成長企業だとか高収益企業である必要はない。
それよりも、地味ながらも生活者に欠かせない企業であって、そこそこの利益をあげて安定的に経営をしてくれていれば、もう十分である。
その上で、将来に夢をもたせてくれるような技術開発を続けてくれていたら、もうゾクゾクしてくる。