投資って、将来を創っていくことなのに

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世界の機関投資家運用の一体どれだけが、「投資」本来の役割を認識しているのだろう?

投資とは、将来に向けてお金に働いてもらうことである。

ということは、どんな社会をつくっていくかの夢や思い、そして意思が働いて初めて投資となる。

当然のことながら、出来上がっていく将来に対して責任が問われる。

そのあたりの認識が、完全に欠如してしまっているのが、世界の機関投資家運用の現状である。

たとえば最近は、ESGとかSDGsを唱える機関投資家が増えている。 結構なことである。

ところが、その多くはマーケティングのためのセールストークにすぎない。

どの機関投資家にとっても、顧客から運用資金を集めるマーケティングは重要な位置付けとなっている。

そのマーケティングに、いま流行っている社会的なスローガンを掲げる効果は絶大である。

いまだったら、地球温暖化防止とか異常気象対策とかだ。 それが、ESGとかSDGsの流行り言葉となっている。

しばらく前は、SRI (社会責任投資)というのが、機関投資家のマーケティング現場でもてはやされた。

そういった現状に対し、どの機関投資家も「我々はもっと真剣にESGやSDGsを意識している」とはいう。

ならば、彼らに質問してみよう。 では、そちらは一体どこまで個別企業のリサーチに力を入れていますかと。

企業リサーチを徹底した上で、それをどこまで運用の現場に反映させていますかと。

つまり、機関投資家の一体どれだけが、本格的なアクティブ運用に徹していますか、そう尋ねてみるといい。

現状は、世界の機関投資家運用の過半が、インデックス対応の機械運用となっている。

インデックス対応、つまり上場企業すべての株価を一括りにした平均株価を投資対象にしているわけだ。

平均株価を追いかけるだけのコンピューター運用をしていて、果たしてどこまで将来に対する思いや意思が働くというのか。

もっというと、個別企業のていねいなリサーチなど、大半の機関投資家が不要と棄て去ってしまった。

そんなインデックス対応型の運用に明け暮れている世界の機関投資家が、一体どこまで将来に対し責任をもてるのか?

さらにいえば、そういった資金運用家にすぎないところに、われわれの大事な年金の運用を委ねていて、いいものか?

このあたりの不合理は、そのうち金融緩和バブルが崩壊すれば、ひどい残骸として白日の下に晒されよう。

その時、われわれ本格派の長期投資家が、世に本物の投資を再認識させる役割を果たすことになろう。