欧米の悲惨さをみてきた

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1970年代の後半から80年代にかけて、ヨーロッパも米国も成熟経済の段階に入っていった。

ちょうど、この30年間の日本のように、成長率は鈍り国民全体の所得も伸びるどころか低迷から減少に転じた。

そんな中、一部の人たちは投資運用することで収入の減少を軽々と補っていけた。

ところが、大半の国民は収入も低めで、それまでの人生で投資運用とはまったく縁がなかった。

そのため、所得の減少をもろに食らって、生活水準をみるみる下げていった。

なんとかしなければということで、二つ三つの仕事を掛け持ってようやく家族を食べさせるといった状況が一般化した。

そこからだ、欧米諸国で投資運用の普及に力を入れ出したのは。

折しも、70年代に年金制度が整備されて、年金の積立ても本格化していった。

その相乗効果で、欧米における投資運用の大衆家は一気に進むことになった。

それを証明するのは簡単である。 1980年における米国の個人金融資産で投信の保有比率は、1%にもいっていなかった。

ドイツ、フランス、イタリアに至っては、投信という言葉さえ国民の間で浸透していなかった。

それが10年後には、いずれの国においても投信保有比率が10%台にまで上昇したのだ。

すごい勢いで投資運用が普及していった。 なお、英国はもともと投信や保険で運用する層がそこそこ存在していた。

そんなわけで、欧米における投資運用の大衆化は1980年代に一気に進んだわけだ。

ところが、せっかく投資運用が国民の間で定着しだしたと思いきや、1987年のブラックマンデーで多くの投資家が大きな痛手を蒙った。

これで元の木阿弥かと思われた。 ところが、運用資産の大きな目減りにもへこたれず、欧米諸国の国民は投資運用の流れを守った。

それから20年、投資運用はもう完全に定着した。 といっても、欧米の国民全員ではない。

まだまだ投資運用するに至っていない国民は多い。 その大半は、収入が低くとても投資運用する余裕がない人たちだ。

ひるがえって、日本は成熟経済に突入して30年以上も経ったが、国民の生活水準はそれほど下がっていない。

これは、日本経済の地力といっていい。 それでも、最近になって低所得層の増加が社会問題化してきた。

おそらく、これから日本の一般生活者も、かつて欧米で経験したような所得減少に直面することになろう。

たまたまデフレ現象が続いたから、預貯金一本やりでノンビリしてこれたが、さてここから先どうなることやら。

成熟社会では投資運用して所得の伸びを確保するのが常識である。 つまり、自分も働くが、お金にも働いてもらうのだ。

この流れ、もうそろそろ本格化してもいいと思うが。