マネーは水のようなもの

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西日本地方での水の被害は甚大で、多くの方々が被害に遭われた。 そこへ、台風12号の追い打ちときた。

水は生命の根源でもあり、毎日の生活に欠かせない。 重要で貴重な存在ではあるが、集まりすぎるととんでもない暴力をふるう。

大雨で洪水となったり、土砂崩れを引き起こす。 津波もそう、普段は穏やかな海が途方もない破壊行為を働いてくれる。

マネーも、よく似ている。 毎日の生活で、お金は不可欠のものであり、皆まじめに働いてお金を稼ごうとする。

まさに、マネーは人々の日々の生活すなわち経済活動の血液や潤滑油の働きをする、きわめて重要なものである。

ところが、マネーも集まりすぎると、たちまち力まかせの横暴から暴力的なものに一変する。

この20年ほど、企業経営はどんどん短期の利益追求に追い込まれている。 その背後には、機関投資家など大株主の圧力がある。

機関投資家も年金や保険会社そして銀行などであり、もとはといえば個人の資金を集めたものにすぎない。

したがってマネーは日頃、水と同様におとなしくて、やたらと存在をひけらかすこともない。 それでいて重要な働きをしてくれている。

そんなマネーだが、機関投資家の手に集まり運用にまわされると、違った顔をしだす。 たとえば、マネーの運用が、最近では凶暴さを前面に出すようになってきた。

そう、ヘッジファンドはもちろんのこと、アクティビストや投資ファンドも、年金など機関投資家マネーをどんどん吸い込んでいる。

ある投資ファンドなどは、日本の経済規模を上回る600兆円を超す資金を集めて、巨額マネーの威力をほしいままにしている。

企業に大株主の立場から短期の運用成績につながるよう短視野の経営を迫るのは朝飯前。

配当金を増やせとか、自社株買いをしろと圧力をかけて、企業から現金を吸い尽くそうとする。 その後は野となれ山となれだ。

彼らからすると、企業の存続も永続的な発展も知ったことではない。 まるで、吸血鬼である。

その、もともとの資金の大半が、一般生活者の年金や預金そして保険の積立てなのだ。

とんでもない、ねじれ現象である。 これを正すには、元の資金の出し手である個人個人が長期投資に向かうしかない。

長期投資であれば、お金を健全なる社会や経済をつくっていくべく、丁寧かつどっしりと経済の現場にまわそうとする。

マネーの横暴とは対極の働きを、お金にしてもらうのだ。 このあたり、夏休みの間にじっくりと考えてみてください。