いま日本中あちこちで、国の政策はどうなっているんだ、政治の力でどうにかしてくれといった声が高まっている。 その延長線上に、アベノミクスの成長戦略もあるわけだ。
日本経済はデフレ状況に陥って10数年になる。 デフレからの脱却も、日本経済を成長路線に乗せるのも、すべて国の責任としている風潮が目立つが、果たしてそれで良いものだろうか。
一度、そこのところを見直した方がいい。 国は経済に対して、どこまで積極関与すべきなのか? その行き過ぎが国民の間に依存心を強め、経済のダイナミズムを削ぎ、自立的な発展を阻害しているのではないか?
戦後復興時を思い出すまでもなく、食うもの着るもの住むところを確保しようと国民は懸命に頑張った。 国が何をしてくれるかなど、誰も期待しないし待ってもいなかった。 その間、国はエネルギーの供給や運輸インフラの整備など、経済の拡大発展に必要な施策をどんどん打っていった。
それが経済の普通の姿である。 自分の生活を確保していくのは自分自身の働きによる、誰にも頼らない。 国は大局的な見地から、経済の拡大発展に必要なインフラを整備していくだけでいい。 それ以上をやってしまうと、国民の自助自立の精神を削いでしまうし、甘えの体質がはびこることになる。
現在なら、国民一人ひとりに向けて、自分で自分の生活を守っていく経済の原点に戻ろうと訴えることだ。 生活が苦しいなら、もっと働くこと、それしかない。
仕事したくても仕事がないなんて言うなかれ。 戦後の苦しかった時も、仕事なんてなかった。 みんな食っていくために、自分で仕事をつくっていった。 500円でも1000円でも、とにかく稼ごうと必死になるしかない。 そういうしゃにむな自助努力が集まったものが経済活動であり、それがぐるぐる回って経済はスパイラル的に拡大発展していくのだ。
国のやること? 成長戦略とか地方創成とかのお題目で予算をばら撒くことではない。 民間の自分で食っていこうとする自立心と、自律的な事業拡大意欲を高めるべく、大幅な規制緩和と減税を断行するのだ。 英サッチャー首相や米レーガン大統領の大成功という前例がある。
何でも自分の工夫と才覚で、思い切り事業拡大していいよ。 やればやるほど、前向きに動けば動くほど、自分に得だよ。 そう水を向けてやれば、国民の多くは放っておいても動き出す。 先に動いた人がどんどんプラスになっていくのを見れば、誰だって自分も頑張ろうとなっていく。 それが、本当の経済活性化である。
それでも健康の問題や家族の事情で働けない人はどうする? これまで通り、生活保護などの手当ては続ける。 上にも書いた、先に動いた人たちがどんどん良くなっていくのを見るうちに、働けないといっていた人たちの中にも前向き動こうとする意欲が高まってくる。 生活保護に甘えているよりも、自分で頑張った方が得だと思う人たちが必ず出てくるものだ。
ひとつだけ国が考えておきたいのは、ドイツがやったように職業再訓練を徹底することで、失業者へのセーフティーネットは充実させる。 より高い技能を身につけるべく、給料をもらいながら職業訓練学校に通ってもらうのだ。
このぐらいで十分である。 サッチャー改革も、レーガン大統領の強いアメリカの復権も、シュレーダー政権による労働改革も、軌道に乗るまで3年ほどかかった。 3年の間に、国民の間で前向きの動きが高まりだし、一方で国に対する甘えが払しょくされていった。
その後の3国の発展ぶりには目を見張らされる。 不治ともいわれた英国病や米国の双子の赤字を克服し、両国とも16年余にわたっての3%強の成長を遂げた。 ヨーロッパの病人といわれたドイツが、今では拡大ヨーロッパで一人勝ちを収めている。