投資とは将来を築いていくことである。 招来の価値を築いていったリターンとして、お金も殖えていく。
間違えても、お金を追いかけては、お金を増やそうとするだけのマネーゲームではない。
招来の価値を築いていく中には、人々の生活が便利で豊かになっていくことが、まず挙げられる。
その昔、松下幸之助さんが水道のじゃ口をひねれば家電製品が湯水のように流れ出すようにしたいと語っていた。
これが有名な水道哲学で、安価な家電製品を大量に社会供給して、人々の生活に便利と快適さを届けたいということだ。
どの国も高度成長期には食品から生活必需品、そして耐久消費財を大量に供給する必要がある。
人々の購買力が高まっていき、より豊かな生活の実現に向けて消費が爆発的に伸びるのに対応するためだ。
それが工場や物流施設の建設ラッシュとなり、大量の雇用や消費の爆発的な拡大を生んでいく。
そういった、より豊かな生活を目指して人々がモノを買いまくる段階は、いずれ一段落する。
すると、工場建設などに急ブレーキがかかり、新規雇用の機会も減って、経済成長率も低下してくる。
いわゆる経済や社会の成熟化である。 生活に必要なモノはもうほとんどで手に入れて、これといって買うものがない。
そこで、人々はお金をつかわなくなる。 お金をつかわないと、経済活動はどんどん縮小していく。
つれて、給料の伸びにもブレーキがかかり、さらに消費を落ち込ませる悪循環となっていく。
この30年間の日本経済がまさにそれで、いわゆるデフレ現象を引き起こしてきたわけだ。
そんな日本だが、モノを超えた消費を拡大させれば、いくらだって成長を取り戻せる。
そう、文化・芸術・教育・スポーツ・技術・寄付・NPO・ボランティアなどで、どんどんお金をつかえばいいのだ。
つかわれたお金は、受け取った人たちの収入となっていき、その先で消費が発生し経済活動が拡大する。
面白いことに、文化・芸術・教育・スポーツなどの分野は、どれも労働集約産業で雇用機会が大きく増加する。
そして、文化や芸術は超のつくほど長期間にわたって富を生み続けることになる。
ルードヴィヒ2世による、ノイスヴァンシュタイン城は200年近くたった今も、世界中から観光客を惹きつけている。
花の都フィレンツェは、メディチ家の芸術振興とそれで潤った商工業者が築き上げたもので、600年を超えて巨額の富を世界中から集めている。
どちらも、文化芸術の素晴らしさと、それがもたらす富の凄さを如実に物語っている。