この40年間で、どんどんひどくなっているのが、投資と資産形成の混同だろう。
資産形成のために、みなが投資しているんじゃないの? 個人も、年金の運用も?
違う。 その投資とやらが、どんどん資産形成から離れていっているのよ。
早い話、年金の運用って、10年はおろか30年40年後の年金給付のための原資の最大化を狙うもの。
したがって、超長期の投資運用が求められる。 実際、1970年代前半までは、それが常識とされていた。
ところが、80年代に入って年金資産の急膨張をみるや、世界の運用会社が年金マネーの獲得競争にのめり込んでいった。
20年30年間の運用成績をなどといっていたら、年金マネー獲得のマーケティングにならない。
あっという間に、5年いや3年の成績だとなって、毎年の成績を追い求めるのが年金運用では常態化していった。
毎年の成績を追い求めるとなるや、もう10年とかの長期投資でもって、じっくり運用しようなどやってはいられない。
そんなことよりも、いかにして毎年の運用成績を叩き出すかが、至上命題となる。
となると、投資とは名ばかりのディーリング運用に傾斜していくいくしかない。
結果、世界の年金運用はマーケットを相手にしてのディーリング売買や、せいぜい短期投資が主体となってしまった。
たまたま、この40年間すさまじいばかりの年金買いと空前のカネ余りで、世界の株式や債券マーケットは上昇を続けた。
それで一応は、運用成績(?)の積み上がりもあって、年金運用の責を果たしてきたかに見えた。
世界の運用マネーの大半を占める年金など機関投資家運用が短期売買が主流となれば、マーケット全体もそれに倣う。
かくして、個人の資産形成運用もマーケット追いかけ型の投資でもってが、普通となってしまう。
これは危険である。 なにしろ、先進国中心に年金マネーは毎年の積み立てよりも給付の方が上回ってきている。
また、空前のカネ余りに対しても、世界的なインフレ圧力と金利上昇という刃が突き刺さってきている。
40年越しという、かつて経験したことのない株式市場などの上昇相場が崩れはじめるのは時間の問題である。
そうなるや、ディーリング売買や短期投資がズタズタにされるし、資産の大きな目減りも避けられない。
そこで、皆がやっている投資というものが、いかに資産形成から逸脱していたかを、嫌というほど味わさせられる。
われわれ本格派の長期投資家からすると、ようやくまともな投資運用への回帰がはじまるで、ますます気合いが入る。