まるでピンポン玉が跳ね上がるような株高が続いている。 眺めている限り、実に愉快である。
ただ、われわれ本格派の長期投資家としては、売れるものは片っ端から売っておこうだ。
こんなカネ余りバブル高に浮かれていて、暴落相場に巻き込まれたら、元も子もない。
一方、証券マンなど市場関係者は株高そのものが飯の種だから、それ行けどんどんで強気を発信する。
彼らからすると、稼げる時に稼いでおけで、このまま断崖絶壁まで突っ走るだけのこと。
行き着くところまで行って、マーケットが暴落したら、そこで対策を考えればいい。
もちろん、投資家たちが大損しても、それは自己責任でしょうで済んでしまう。
また、メディアはその時々の出来事を報道するのが仕事で、大騒ぎできる材料なら何でも大歓迎である。
だから、ここへきてのピンポン玉のような株高現象は格好の報道材料となる。
その点、投資家は違う。 買い持ちしていた株式などを売って利益確定して、はじめて一件落着となる。
証券マンたちやメディアと一緒になって株高に浮かれていては、後で泣くだけである。
それにしても、最近は先進国を中心にして、政策当局や中央銀行が株高にやたらと執着している。
2008年のリーマンショック以降、ゼロ金利やマイナス金利の導入と、資金は無制限に供給する政策を打ち出した。
経済の現場に資金をふんだんに供給して、金融マーケットを下支えし景気の落ち込みを防ぐためだ。
その象徴として、先進各国は株高を強く意識してきた。 金融マーケットは大歓迎である。
ところが、世界的なインフレ圧力が高まってきて、昨年の3月から金利を引き上げを余儀なくされた。
それでも、インフレ圧力が弱まってきたとみるや、あちこちで利下げの大合唱が高まった。
政策当局や米FRBなど中央銀行も、株安に象徴される景気の冷え込みを防ごうと、神経をとがらせている。
どれもこれも、マネーさえ大量に供給すればのマネタリズム政策の流れにあるといえるだろう。
そこから出来上がっていくのは、張りぼての経済拡大であり、その象徴が株高であり金融マーケットの大発展だ。
その横で、各国では金融所得中心に富の集中が進み、多数国民の低所得化や貧困化が社会問題となってきている。
たしかに、マネーを大量供給すれば株高は維持できる。 でも、それは張りぼての株高といった側面を忘れてはならない。
その点、インフレ圧力や金利高は実体経済からの刃であり、張りぼてはとうてい抵抗しえない。
いつでも実体経済をベースに考え行動するのが、われわれ本格派の長期投資家である。