国は新NISAや資産運用立国とかで、個人の金融資産を株式投資などに向かわせようとしている。
ちなみに、昨年9月末の日銀統計では、個人金融資産は2121兆円に上っている。
そのうち、株式投資と投信には12.1%が、年金や保険に25.4%が向けられている。
一方、現金と預貯金には52.5%が、預貯金だけだと47.5%の1007兆円が収まっている。
つまり、国などが意識しているのは、1007兆円の預貯金マネーをなんとか投資に向けさせようだ。
その政策方向や良しだが、問題は一体どうやったら個人の預貯金マネーが投資に向かいだしてくれるかだ。
年0.001%といった、お話にならないような低利回りでも、預貯金で安全にの国民性だ。
明治以来150年かけて浸透させてきた貯蓄信仰は、ちょっとやそっとでは切り崩せそうにない。
この1月から始まった新NISAが、その突破口を開いてくれると期待できるか?
そう、国はじめ識者などは好調な立ち上がりの新NISAをみて、ご機嫌かもしれない。
ただ、そう単純にことは運ばないだろう。 なによりも、国民の多くが投資というものに安心感をもっていない。
投資をするといっても、株式にしても投信にしても、自分で選んで買うという行動をしなければならない。
預貯金のように、ずっと丸投げでやって来た人々にとっては、その一歩がなかなか踏み出せない。
自分で判断し、自分で動くところからして、もうその段階で不安とかリスクを感じてしまう。
ましてや、自分で選んで買うとなると、なにをどうして良いのかで思考停止に陥ってしまう。
思考停止というか、そこまでして投資などしなくてもといった、不作為に逃げたくなる。
そのあたり、作物を育てていくような投資本来の考え方が広がっていれば、話は別である。
また、その方向で長く実績を積み上げてきた本物の投資のモデルがあれば、それを買おうでいい。
残念ながら、日本ではマーケットを相手にした株式投資や投信の提案ばかりである。
とてもではないが、個人の多くが預貯金に抱いてきた絶対的な安心感や信頼感には、とうてい及ばない。