機関投資家の運用現場では、AIの活用が急速に進んでいる。
膨大なデータベースを駆使して、あらゆる可能性を読み込み、それでもってリスクを抑え込む。
そういった人間業では到底およばない高度で複雑な作業を瞬時にやってのけてくれる。
となると、運用管理の分野では重宝な存在として、ますます多様化されることになろう。
最近では、世界的なカネ余りに乗って、預かり運用資産が1300兆円とか800兆円といった巨大運用会社が登場してきている。
日本経済の2.3倍とか1.4倍もの資金を、世界中の金融機関や年金など機関投資家から預かり運用しているわけだ。
とんでもなく巨額な資金を預かり運用する現場は、一体どうなっているのだろう?
とうてい、人間の手作業ではこなせない。 コンピュータに運用させるとしても、どうプログラミングするのか。
高度にプログラミングするとしても、世界中の金融マーケットが正常に機能していてくれてのこと。
もし、どこかの金融マーケットが、なんらかの障害で機能不全をきたした場合は、どう対応するのか?
そういった、あらゆる機能不全を想定した運用のプログラミングなんて、果たしてできるのかどうか?
また、運用におけるリスク管理も、巨額な資金であるが故に、カウンターパーティ・リスクも考慮しなければならない。
カウンターパーティ・リスク? たとえば、リスクヘッジの相手側が、それだけ巨額な資金に対応できるかどうかだ。
リスクヘッジの相手を広く分散させる? そういったリスク分散も、世界の金融マーケットが正常に機能していてのこと。
そうなのだ、高度にコンピュータやAIを活用するにしても、世界の金融マーケットが正常に機能していてのことだ。
いまや、ゼロ金利の時代が終わった。 カネ余り金融マーケットが崩れに入ったら、さあどうなることか。
これまで買い上がってきた株式や債券など金融商品が総売りの修羅場に陥った時のことを想定してみよう。
いくら膨大なデータベースを駆使しているといっても、史上空前のカネ余り金融マーケットの崩れだ。
そんな想定なんて、まったく織り込んでいないはず。 さあ、どうなることやらだ。
われわれ本格派の長期投資家からすると、機関投資家たちの「資金運用の世界」における大混乱だ。
なにもかもコンピュータに頼りきりできたから、酷いことになろう。 まあ、高みの見物をさせてもらうとしよう。
金融マーケットは酷い混乱に陥ろうが、人々の生活をベースとした実体経済はなくなりっこない。
いくらでも、手を打てる。 それが、投資運用というものだ。