音楽が鳴っている間はダンスを踊り続けるしかないのが、世界の機関投資家である。
彼らは四六時中、それこそ朝から晩まで運用競争に追いまくられる。
その運用競争も、毎年の成績はおろか、時々刻々の運用状況についても厳しくチェックされる。
となると、自分の投資判断でもって独自の行動を起こすなど、危険きわまりない。
たとえば、相場は高値圏と判断し、さっさと利益確定の売りを出すとしよう。
売った後も上昇相場が続いたりしたら、もう悲劇もいいところ。
こちらは売ってしまったが、相場は引き続き上昇を続けるから、競争相手たちとの成績差は一気に開く。
その状態がしばらく続くと、運用が下手だという烙印が押される。
その先では、運用者たちは降格、運用会社は預かり資産の解約が待っている。
そんなリスクは、とうてい犯したくない。 それで、彼らはマーケット動向にとことんついていくことになる。
それが、機関投資家たちの「音楽が鳴っている間は、ダンスを踊り続ける」につながっていくわけだ。
厄介なのは、世界の機関投資家たちが世界の運用マネーの大半を預かり運用していることだ。
巨額の資金を預かって、マーケットでの価格形成に決定的な影響を及ぼせるはずの彼らが、ひたすらマーケット追随に徹しているのだ。
これでは、ありとあらゆる価値観を織り込んだ価格形成も、それをベースとした投資判断も出て来ようがない。
そういった、まともな投資判断なきマーケット展開が、世界の金融マーケットでもう40年近く続いているわけだ。
そもそも、不特定多数の投資家が、ありとあらゆる価値観や利益目的を持ち込んでくるのがマーケットである。
それぞれの判断で自分の利益を追求するせめぎ合いの中で、市場価格が時々刻々と形成されていく。
そういった価格形成の大きなトレンドが、相場となっていくわけだ。
とはいえ、マーケット参加者はそれぞれの価値観や利益目的でもって、独自の投資判断を下すはず。
その集合体である相場も、まるで生きもののように上下変動して当然である。
ところが、機関投資家たちは自分の判断などはなく、ひたすらマーケットにしがみついて踊っているのだ。
この先、どうなる? 音楽が鳴り止んだ瞬間、彼らは右往左往の混乱に叩き落される。
ここまで買って買いまくってきた彼らだ、総売りの修羅場をのたうち回ろう。