2年半ぶりのイタリア

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先週、弾丸列車のようにイタリア出張をこなしてきた。 コロナで2年半ぶりの海外主張。

中途、イスタンブール空港で乗り継ぎをした段階から、「これが、人間の集いだよな」と強く思った。

人間らしい集い? ほとんどの人がマスクをしていないから、顔の表情がそのまま伝わってくる。

日本ではもう日常となっているのが、マスクをした人々の集団に囲まれた生活。

お互いに眼だけでもって、コミュニケーションを取っている。 それだと、どうしても固いし、よそよそしくなる。

その点、顔の表情がどれほど大事か、イスタンブール空港で実感した。

見も知らない通りすがりの旅行客どうしなのに、こういうのが人間の集団なんだと再認識した。

イタリアへ入るや、さらに人間らしさがビンビンと伝わってきた。 みんな賑やかに生活している。

逆いうと、コロナ禍でロックダウンしていた頃、「このイタリア人たち、どう生きていたんだろう」と同情を禁じえなかった。

一方、自分を含めて日本人の帰国時の窮屈さ、「どこまで、やるの!」とうなりたくなる。

ミラノの空港で、コロナの陰性証明書を180ユーロ支払って、発行してもらう。

その証明書は、イスタンブールで乗り継ぐ時も、帰国時も絶対に必要だった。

同じ便に乗り合わせた日本人の社員グループ3名のうち、一人が証明書不備でイスタンブールから飛び立てなかった。

聞くと、若い社員で英語はまったくダメ。 その彼が一人だけ、イスタンブールに取り残されたわけだ。

羽田に着いた後、二人が頑張ってみると言っていたものの、言葉も話せない人間をどう帰国させるのか。

大変だけど、頑張ってと言い残して、帰国手続きに入ったものの、今度はこちらがビックリした。

ここまで、やるの! そう、うなりたくなるほど完璧にコロナ感染防止体制が採られていた。

検疫を徹底するという方針に異論はないが、それにしても驚きだった。

パスポートチェックだけで、スイっと入国できたイタリアとは大違いもいいところ。

そろそろ日本も、コロナをインフルエンザ並みの扱いにしても良いのではと、強く思った次第である。