ようやく日銀も、円安の危険性を認める方向に舵を切るようだ。
もたもたしていると、輸入インフレの高まりとともに、国民の生活を大きく圧迫する事態に陥ることにも。
世界あちこちで、コストプッシュ型のインフレが台頭してきている。
エネルギーや資源の大半を輸入に頼っている日本は、円安で海外インフレの打撃が増幅される。
それは貿易収支や経常収支の悪化を招き、一層の円安へと転がり落ちていくわけで、ひどい悪循環となる。
そもそもだが、やみくもな円安への逃避が、日本の経済力をどれだけ弱めてきてことか。
かつて、1971年8月には1ドル360円が308円にと、突如の円高という激震が襲った。
それを政官民一体となった必死の努力で克服した。 その結果、さらなる円高が進行した。
円高が進むということは、経済力つまり国力の高まりであって、日本はどんどん豊かになっていった。
それが、さらなる円高を招き、輸出企業を中心にすさまじい経営努力を強いて、日本企業はますます強くなっていった。
1985年の9月には、当時1ドル250円だったものが、125円へと修正させられた。
一気に2倍となる円高に対して、日本の産業界とりわけ輸出企業は悲鳴をあげながらも対応努力を重ねた。
そういった企業努力が世界最強の競争力につながっていったわけだ。 つまり、円高が日本製造業を鍛えたのだ。
一方、政と官は内需拡大路線に転じ、産業構造を輸出型から脱皮させる方向に舵を切った。
その結果が、1980年代後半のバブルにつながったし、輸出企業の積極的な拡大投資の意欲を削いでしまった。
バブルが弾けてみれば、日本経済の2.2倍から3倍もの金額の資産デフレを残した。
その修復に、失われた10年どころか、失われた30年という時間と、巨額の対策予算を投入させられることになった。
同時に、半導体に代表されるように、日本企業の投資不足が韓国や台湾そして中国企業の台頭を許してしまった。
それでも、日本産業界の地力はまだ残っていて、円高は1ドル75円にまで進んだ。
ところが、バブル崩壊後は企業の多くも、自助努力を重ねるより国に頼る方向へと、安きに流れだした。
そして、政官と一緒に円安政策を大合唱しだした。 その頃からだ、日本企業の生産性の低さが問題視されるようになったのは。
つまり、円安へと逃げだしてからというもの、日本企業はどんどん弱くなっていったのだ。
その挙句、日本経済の弱体化が進み、それを象徴するかのように円安が定着してしまったのだ。
これは、構造的な問題である。 自助努力を棄て、円安に逃げた日本企業の多くは、脱落淘汰の道を歩んでいくしかない。
それらを救済するにしても、巨額の財政赤字を抱えた政府に、さてどれだけできるものか。
そう考えるに、このバブル株高はそういつまでも続きはしないのだろう。