日本経済の高度成長期を経て、1980年代の前半までというもの、経済界の鼻息は荒かった。
財界筋からも、「政治は3流だが、経済は1流だ」という声がひんぱんに聞こえてきた。
実際、昨日も書いたように、85年のプラザ合意まででみても、1ドル360円から125円へと3倍近い円高が進んだ。
そんな逆風をも跳ねのけて、輸出企業中心にして日本製品は世界を制覇していった。
まさに、経済は1流と豪語するに相応しい国際競争力を、日本企業は我がものにしていたわけだ。
ところが、プラザ合意を機に日本経済は輸出主体から、内需中心の産業構造へ舵を切るべしとなった。
そこからだ、日本経済がおかしくなったのは。 先ずは、リゾート開発法案とやらを大急ぎで制定した。
それが、全国津々浦々まで開発ブームに沸き上がらせ、80年代後半の土地や不動産バブルにつながっていった。
その間、輸出企業は対米の貿易摩擦を和らげるべく、それまでの半導体などの積極投資をトーンダウンした。
このふたつは、後から振り返ってみれば、政治3流の面目躍如といえる、お粗末きわまりない政治判断だった。
80年代後半の土地や株式投機バブルは、90年代に入って巨額の資産デフレと銀行の不良債権問題を残した。
半導体などの投資制限は、日本メーカーのはるか彼方で後塵を拝していた韓国や台湾企業に追いつかれ、大きく引き離される結果となって現在に至っている。
どちらも、米国の意向に唯々諾々となって、なんら長期的な戦略も持たぬまま、今日の無様なジリ貧を招いた政治の責任は重い。
同時に、この30年間の経済界のダラシなさにも、いい加減ウンザリさせられる。
たしかに、日本の3流政治には眼を覆いたくなるが、民間企業がそれに付き合う必要はない。
なのに、多くの企業が円安歓迎の大合唱をしたりと、経営者が安易に流れ過ぎている。
かつての、なにがなんでも円高を乗り切ってやるの気合と緊張感は、もはやどこへやらである。
大企業を中心として日本企業は、このまま3流の道を歩んでいくのだろうか。
そうは思いたくない。 おそらく、気鋭の企業が飛び出してくるのだろう。
ますますをもって、企業リサーチに力を入れたくなる。