円安が進行して、121円台に乗せてきた。 株式市場では、円安イコール株高をはやして大幅高を続けている。
もう、いい加減に「なににつけても安きに流れる姿勢」を、猛反省しようではないか。
円安歓迎論ひとつとっても、それがどれほど安きに流れた大間違いだったか、歴史が証明している。
1971年8月のニクソンショックで、1ドル360円から308円へと一気に円高が進んだ。
そして、2度の石油ショックで、原油価格は10~11倍となった。 とんでもない逆風に襲われた。
日本は、官民挙げての必死の努力で、円高もエネルギー価格の高騰も乗り切った。
そこで一番活躍したのが、円高と資源高そしてインフレの3重苦に喘いだはずの輸出産業だった。
非産油国で唯一、2度の石油ショックとも3年弱で克服した日本経済は、強い意識で難局に立ち向かった。
それが功を奏して、円高はさらに進んでいった。 一国の通貨が強くなることは国力を反映してのこと。
なのに、産業界は円安誘導してくれと泣き言ばかり。 それでも、日本経済の勢いはさらなる円高を誘った。
1985年のプラザ合意では、1ドル250円が125円へと2倍の価値に修正させられた。
そのままバブルに突っ走っていったが、94年には1ドル75円をつけるまでに円高は進んだ。
産業界をはじめとして、円高阻止だとか米国の謀略だとかで大騒ぎしてきたが、その間にも日本経済はどんどん強くなっていったわけだ。
あの当時までの日本企業は必死に頑張っていただけだが、生産性が低いとかの言葉はついぞ聞くことはなかった。
ところがバブル崩壊あたりから、数々の逆境を乗り切ってきた日本の企業経営者が、どんどん骨抜きとなっていった。
長期的な戦略を持たず先送りしかできない政治と一緒になって、円安ばかりを唱えるようになった。
その挙句が、あれほど強かった日本企業の国際競争力は落ちるし、生産性は下がる一途となるはで、まったく良いところなしである。
気がついたら、この30年間、日本経済はずっと停滞した。 その間に、3倍近くに伸びた米欧経済に大きく後れを取っている。
国民の所得も、日本ではほとんど伸びていない。 米欧はおろか、台湾シンガポールにも大きく後れを取っている。
まったくの、だらしなさである。 それもこれも、安きに流れることの楽を覚えてからだ。
経済活動とりわけ企業経営は、すべからく闘いである。 なにがなんでもの闘う意識が薄くなっては、ジリ貧しか残らない。
円安の株高に浮かれていると、そのうち強烈なインフレという、大きなしっぺ返しを食らうぞ。