社会でAI化が進み、デジタル社会となっていくとしても、最近いわれているような失業の大量発生はないだろう。
たしかに生産現場や物流などの分野では、自動化やロボットの活用で人的作業のウエイトは、どんどん下がっていこう。
あるいは、単純労働が機械に置き換わっていって、高度な教育を受けた知的労働者のみが、ますます求められるとも言われている。
その結果、はじき出される労働余剰は、それだけをみると大量の失業ということはできるかもしれない。
また、デジタルディバイドといわれる社会分断で、デジタル化に乗っていける一部の人々の収入は、どんどん高まっていく。
一方、デジタル化に取り残される多数の人々は、低所得化の道を余儀なくされる。
そういった観測がマスコミ紙面をにぎわせるにつれ、なんとなく世の中もそう思い込むようになってきているようだ。
ちょっと待った! かりに、そういったトレンドが加速していって、大半の人々の低所得化が進むと、どうなるか?
消費需要全般の大幅ダウンで経済活動は低調になり、AI化やデジタル社会での勝ち組も稼ぎ場を失う。
つまり、AIもデジタル化も道具にすぎなく、道具を利用する人間の方で消費余力が下がっていったら、どうにもならない。
それは困る? となると、如何にして多くの人々の低所得化にブレーキをかけ、消費需要の落ち込みを避けるかだ。
国が所得の再分配などいろいろ対策を講じようが、経済の現場でも自然発生的に労働の大移動がはじまっていく。
そうなのだ、AI化やデジタル社会となっていったところで、余剰労働力といわれた人々も食っていかなくてはならない。
つまり、大量失業の発生とかの報道に甘んじている間もなく、人々は新たな仕事を求め始める。
多くは、人間が関与せざるを得ない仕事分野、つまり広い意味でのサービス産業に流れ込んでいく。
それも、ある程度は食っていけるだけの報酬を求めはじめる。 そうしないと、経済は縮小していってしまう。
つまり、AI化やデジタル社会化が進んでいけばいくほど、サービス産業での雇用吸収が大きくなっていく。
そして、どんどん低価格化が進むAIやデジタル化とは逆に、サービス価格つまり人間の労働の対価はそれなりの水準を維持する。
そこで顕著となっていくのは、サービスの質である。 そう、より豊かに生きていくにはという方向で、新たなる格差が生じていく。
といっても、これは芸術などで考えたらわかるが、より高みを求める競争だ。 結構なことである。