金融の暴走には、バブル崩壊という薬が

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金融は経済活動の血液あるいは潤滑油として、きわめて重要な役割を果たしている。

早い話、金融サービスによる与信業務は経済活動の大半を賄っていると考えていい。

たとえば、日本中で流通している現金は118兆円ほどにすぎない。 個人の財布から企業などの保有現金すべてを合算しても118兆円ほどなのだ。

一方、個人の預貯金残高だけでも969兆円もあるのだ。(日銀速報、2021年6月末現在)

日本中で流通している現金は、個人の通帳残高の8分の1にすぎない。 なのに、なんの不自由も感じない。

それが、信用供与である。 というか、信用供与も金融機能の一断面である。

それほどまでに金融というものは、経済活動において重要な働きをしているわけだ。

ところが最近というか、この30年ほど、「金融への過信」がやたらと横行するようになってきた。

金融を緩和し資金を大量に供給しさえすれば経済は成長するというマネタリズム理論も、そのひとつである。

金利をゼロ同然にまで下げ、財政資金をふんだんに投入すればというのは、国や中央銀行が経済活動を先導することだ。

経済活動はもともと人々の毎日の生活と、それを支える企業活動とが主体となったものである。

なのに、国や中央銀行が先導して経済活動を活発化させようとしているのだ。

どう考えても、本末転倒である。 それが、マネタリズム理論の限界である。

現に、資金さえ大量にバラ撒けばのマネタリズム政策が金融バブルを助長し、金融所得のみを大きく膨らませてきたではないか。

その横で、先進国中心に大多数の国民は低所得化を余儀なくされている。 中間層の没落も、その一環である。

多数の国民の低所得化傾向は、デジタル社会の到来に乗り遅れたからだというのは、一断面にすぎない。

そもそもからして、マネタリズム理論で長年やってきたが、金融経済のみを潤わせただけではないか。

日本はじめ先進国の実体経済は期待したほど伸びていない。 それが故に、多数の国民の所得も伸び悩むのだ。

こんな状態を打開するには、一刻も早く金融バブルが崩壊してくれて、マネタリズム理論とやらを吹っ飛ばすしかない。

一時的には経済も社会も大混乱に陥ろうが、実体経済をベースとしたまともな金融に回帰するには避けて通れない道である。