シュレーダー改革の見事さ

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インターネットTVの、さわかみチャネルでは毎週水曜日19時から、「あっちゃん WinsDay 」というのをやっている。

MC のあっちゃんが、自分にいろいろ聞きだすという番組で、毎週びっくりするようなテーマが飛び出す。

昨夜は、「米国大統領と、あっちゃん」というテーマで、いろいろ語り合った。

相手が自分だから、「面白おかしく」という方向から、どうしても話の内容が硬派的なものになっていってしまう。

昨晩も、トランプがどうのこうのから、「政治家らしい政治家とは」といった方向へ行ってしまった。

そこで取り上げたのが、ドイツの前首相が断行したシュレーダー改革である。

1990年に東西ドイツが統合して、ドイツという国が復活した。 長年の夢が実現したわけだ。

ところが、そのドイツが90年代を通して、「ヨーロッパの病人」といわれるほど経済も社会も停滞と低迷にあえいだ。

統一前も、旧西ドイツは長い間の繁栄ボケで、人々はかつての勤勉さを投げ捨てて休暇ばかりを取っていた。

そこへ、社会主義でがちがちだった東ドイツが加わったから、統一ドイツは大きな重荷を背負ってしまった。

旧東ドイツの住人たちは、競争とかサービスといった感覚には疎い。 一方で、年金などでは恵まれていた。

人々の労働意欲は低いは、統合コストや年金負担の急増がのしかかるはで、ドイツ経済はガタガタになってしまった。

96年に登場したシュレーダー首相は、労働者よりの社民党の党首でありながら、労働改革を断行したのだ。

企業に対し、働かない労働者はどんどん解雇すべし、失業者は国が全面的に再教育で面倒みようという政策だ。

もうひとつは株主改革で、伝統的に銀行支配下にあったドイツ企業を解放したのだ。

銀行には保有株をすべて放出させるが、売却益課税は免除するという大判振る舞いをしてやった。

これで、ドイツ企業は身軽になった。 働かない労働者は首にできたし、銀行の圧力もなくなった。

そこへ、2000年からのEU統合だ。 拡大ヨーロッパ市場に向けて、ドイツ企業は一気にビジネス拡大となっていった。

2000年から今日までの「一人勝ちのドイツ」を、シュレーダー改革が演出してしまったのだ。

これぞ、政治というものだろう。 惜しむらくは、大改革の成果が出てくる前に、2002年の総選挙でドイツ社民党が敗れたことだ。

シュレーダー首相は退任を余儀なくされた。 後任のメルケル首相がどうのこうのよりも、シュレーダー改革はもっともっと評価されていい。