音楽が鳴っている間は、ダンスを止められない

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いつごろからか、表記の洒落た表現がマーケットの内外で語られるようになった。

機関投資家は上昇相場を途中下車家できないとする、80年代からの宿痾を洒落た言葉で言い表している。

70年代までの機関投資家の運用といえば、限りなく職人的な仕事とみなされていた。

ファンドマネージャーという運用職人に、すべてお任せ。 売りも買いも、そしてタイミングもお任せだ。

ちょうど、歯医者さんにかかるのと同じこと。 患者は口を大きく開けたまま治療を全面的にゆだねる。

そもそも運用ビジネスは結果の世界。 10年20年にわたって、どんな成績を、どのように積み上げてきたかが問われる。

それを見て、投資家顧客は自分のニーズに合った運用者をみつけ出そうとする。

したがって、ここと決めて運用を任せた以上は、中途であれこれ注文をつけたりはしない。

そんなことしたら、職人は嫌がるだけだ。 長年にわたって鍛え上げてきた腕を、存分に発揮できないから当然のこと。

となると、表記の音楽が鳴っている間はダンスを止められないなんて、あり得ないこと。

運用職人それぞれが、自分の判断でダンスを止めたり、音楽などなくても一人さっさと踊りだしたりするだけだ。

ところが、80年代に入って年金運用の資金獲得競争が本格化しだしてからというもの、状況は一変した。

投資運用というビジネスが職人技の世界から、マーケティング・ビジネスへと変質してしまった。

運用資産獲得のマーケティング競争が前面に出てくると、10年20年の成績なんて言ってはいられない。

あっという間に毎年の成績を云々しては、運用資金の獲得にありつこうとする流れが一般化した。

毎年の成績を云々するとなると、相場動向にしがみついて、如何に成績を積み上げるかで眼の色を変えざるを得ない。

そうなると、上昇相場を途中下車するなんて恐ろしい(?)ことを、運用者は絶対に避けたい。

下手に自分の相場観で売って、その後も上昇相場が続いたら、一巻の終わり。 飯の食い上げだ。

運用者の誰一人として、上昇相場で途中下車するリスクを取りたがらない。 これが、ダンスを止められないである。

誰も自分の投資判断で売れないことが、80年代以降の各種のバブルを大きく膨らましてきた要因の一つとなっている。

現行の壮大な金融バブルも、まともな運用者であれば、早めに利益確定して暴落に備えたいところ。

しかし、まだ音楽が鳴っている。 それでも、誰も売りに入れない。 だから、金融バブルはどんどん膨れ上がっている。

行き着く先は? 皆で暴落相場に落ちていく、壮大な地獄だ。 年金顧客など、いい迷惑である。

われわれ長期投資家からしたら、なんとも無責任な運用と一刀両断だが、機関投資家はそこから逃れられない。