個人や家計の財産づくりにおいて、投信の位置づけがだいぶ高まってきた。 大いに結構である。
日本の投信業界はなかなか昔からの悪弊から脱皮できないが、それでも少しずつ変わりだしている。
そうしないと、いよいよ置いてきぼりを食らうというか、社会から捨てられる危機感が現実認識となってきたからだ。
個人の財産づくりニーズが高まってきているから? それだけではない。 われわれのような、まともな投信が存在感を出してきたのも、業界の危機意識につながっている。
いうまでもなく、投信は一般生活者の財産づくりにおいて最高の器である。 とりわけ、英国や日本で普及している契約型の投信は理想的である。
なにしろ、投資家の資産は信託財産として信託銀行によって、がっちりと保管管理される。
それによって、運用会社の不正行為から信託銀行のたとえば経営破綻などまで、完全に遮断された安全きわまりない財産づくりとなる。
その上、資産運用にあたって生じる配当金収入や運用益に関して、一切の税金がかからないという、とんでもない利点がある。
普通の運用では、キャピタルゲイン課税などで利益の20%ほどを徴税されるが、投信の場合は解約するまで税金は一切かからない。
これだけ利点がそろっていれば、投信でもって財産づくりしない手はない。 だから、散々苦労しながらも20年前に、さわかみファンドを世に出したわけだ。
ここまでは理解できたとして、問題はここからだ。 個人の財産づくりにあたって、投信のコストを重視する声が高まっている。
同じ運用成績なら、投信の信託報酬などのコストが低ければ低いほど、投資家の手取りは大きくなるのは間違いない。
マスコミや専門家は、この点をやたらと強調している。 たしかに、インデックスファンドなどではほとんど成績差がつかないから、信託報酬率は低い方がいい。
ところが、われわれのようなアクティブ運用ファンドでは、そこの運用哲学をはじめとして、リサーチ力や運用力によって成績は天と地の差となる。
それなりのコストも、当然のことながらかかってくる。 したがって、信託報酬が低ければいいなんて単純な議論には組しない。
よく考えてみればわかるが、信託報酬などのコストはすべてその投信の基準価額に、毎日365分の1ずつ織り込まれていく。
そして、財産づくりは長期的な基準価額の成長でもって正否を問う。 投信のコストとやらも、すべてその中に入ってくる。
いま、マスコミや専門家とやらが投信のコストを騒ぐのも、本格的な長期保有型の20年30年の実績を見たことがないからのこと。
その点、さわかみファンドは既に21年近い実績を積み上げているけど、彼らはそれを評価しようともしない。
まあ、そのうち否応なしに彼らも認めざるを得なくなるだろう。 とりわけ、次の5年で決定的な差となって表れる。