投資と運用は違う?

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1970年代の終わりごろから、世界の投資運用ビジネスが大きく変容しだした。

どんな変容か? 世界の運用会社が運用ビジネスから、マーケティングのビジネスへと経営の舵を切っていったのだ。

とりわけ、1980年代に入ってからというもの、「運用ビジネスとは、いかに運用資金を集めるか」が勝負となっていった。

昔からの、「運用ビジネスは、積み上がった成績でもって資金が集まってくるもの。 それを、じっくりと待つべし」という鉄則が、あっという間に踏みにじられてしまった。

たしかに70年代半ば頃までは、どの運用会社も長期のスタンスで運用成績を積み上げるべく、運用リサーチに徹していた。

自分は、その場にいてアナリストとして、朝から夜遅くまで企業分析に精を出していたから、よく覚えている。

当時は、運用会社が資金集めに経営資源を割くなんて邪道とされていた。 そんなところは、2流3流と蔑まれたものだ。

そんなわけで、英国などでは小ぶりながら世界中から資金が集まってくる、名門といわれた運用ブティックがゴロゴロしていた。

小ぶり? そう、運用部門と顧客管理部門さえあればいいから、20人~70人規模の会社で十分だった。

そんな牧歌的な運用ビジネスに代わって、70年代の終わり頃から一気にのし上がってきたのが、資本力と規模をベースとした運用会社である。

引き金となったのは、年金資金の急激な膨張であった。 先進国中心に年金の制度が整備され、国民年金や企業年金の資金プールが爆発的に巨大化していった。

それをみて、世界の運用会社が、いかに多くの運用資金を集めるかのビジネス競争に雪崩れ込んでいった。

運用資金集めのマーケティングとなると、もう口八丁の世界である。 年金担当者をどう説得し、資金を預ける気にさせるかが勝負。

そして、運用の短期化だ。 マーケティング競争が激化していくにつれて、10年を超す運用成績の優劣なんて悠長なことは言っていられない。

あっという間に、毎年の成績を問うのが年金運用では主流となっていった。 それが、世界の運用ビジネス全般に波及していった。

もうそうなると、ここまでの運用成績は、ひとつの説得材料程度に格下げされてしまう。

それよりも、新しい投資理論や手法をひけらかす方が、よほど毎年の成績を示唆する材料とみなされるようになっていった。

その流れに乗って、80年代からずっとここまで、投資の理論やらテクニックは驚異的な高度化を遂げ、なお止まるところを知らない。

どれもこれも、いかにしてマーケットでの価格変動に立ち向かって売買益を積み上げていくかに集約される。

つまり、ディーリング運用だ。 それが、いつの間にか投資運用ということになってしまった。

いまや、世界中が毎年の成績を追いかけるディーリング運用をもって運用ビジネスとされている。

一方、われわれのような長期投資家は絶滅危惧種的な存在となってしまった。

ディーリング運用全盛の潮流だが、おそらく5年以内にズタズタとなろう。

マイナス金利とかの目茶苦茶に対し、経済合理性への回帰がはじまった瞬間に、舞台は一変しよう。

この長期投資家日記で、そのあたりは逐次とり上げていこう。