一度、ひどい状態になった方がいいのかも

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日本での改革は、常に現状を維持しつつ、できるだけ皆がついてこれるよう配慮しながら進めるのがほとんど。

民主主義といったら、これほど立派に民主主義の精神を踏襲している国はないだろう。

出来る限り多くの賛同を得つつ、不賛成者にも納得がいくよう気配りをしているのだから。

残念ながら、これでは抜本的な改革はできない。 どの国でも、時として大鉈を振った大改革が求められる。

それが日本では、まず期待できない。 そもそもからして、そういった大改革を断行するリーダーが生まれる土壌がない。

例外的に田中角栄という首相が登場したが、彼の列島改造計画もロッキード事件やらで足を引っ張られてしまった。

出る杭は叩かれる、長いものには巻かれろ、根回しを怠るな等々、村社会の慣習や価値観をずっと引きずっている。

だから、改革といっても、現状を維持しつつ漸進といった程度の変化しか、社会的に許容されない。

高度成長期までは、そんな「皆で一緒に」の漸進主義が、国民の力を結集するのに最大の貢献をした。

国民の皆が、より豊かになろうという方向で一致団結して、それはそれは良く働いた。

だが、「皆で一緒に」の漸進主義には、ブレーキがかからない。 皆が幸せなんだから、このままいけばいいじゃないかとする現状維持の価値観だ。

それが、80年代後半のバブルを引き起こした。 バブル崩壊後は大きな混乱の中、銀行や企業をできるだけ潰さないようにの現状維持が国家政策となった。

それから30年、日本経済はずっと低迷に喘いだまま。 アベノミクスとかが出てきても、現状に大鉈を振るうようなものではない。

年金はじめ社会保障問題、財政悪化と国の借金著増、日銀の財務肥大化、どれもこれも奈落の底へ向かってひた走っている。

ここは、大きな出血も覚悟の抜本的な改革に、国民が一致団結して汗を流す時である。 それも、一刻も早くだ。

しかるに、日本の政治は小手先細工のようなパッチワーク政策で、どの問題も先送りするばかり。

それどころか、働くな(?)改革とやらで、国民に休め休めといっている。 完璧なる、大衆迎合民主主義である。

このままいくと、日本全体がユデガエル化するのは、時間の問題である。 その時は、ひどい混乱に国全体が右往左往する。

どうせそうなるのなら、一刻も早くどん底まで落ちてしまった方がいいのかもしれない。

国への甘えも、おねだりも全部だめになる。 そうなったら、自分で自分のことをなんとかするしかない。

国民の間で自助意識が高まってくれれば、結果的には大改革となる。 その方が早いのかも。

本当なら、こういう時には国民の理性と知性でもって、現状を抜本的に打破すべきである。

それをリードする政治家らしい政治家の登場を待ちたいところなのだが。