自分の隠れた勉強テーマが、かつて王国や帝国を経験した国の末裔たちである。
といっても、学術研究とまではいかない、単に興味本位であれこれ調べては自分なりに納得している程度だが。
もともとは世界各地をまわっていて、ふと気が付いたことがきっかけである。
ちょっと違うのだ。 表現は悪いが、ずっと従属してきただけの国々の人々とは、決定的に違うものを感じ取れる。
末裔たちの血というか生き様には、どこかに民族の誇りといったものが流れている。
その誇りが、たとえいま経済的にひどく落ちぶれていても、それを乗り越えていこうとする見えない力となっている。
イランとかペルーを見てみればいい。 ペルシア帝国、インカ帝国の末裔たちには、頑として譲れないものを持っている。
この40年間、イランはイスラムシーア派の教えでもって突き進んできた。 世界との軋轢も覚悟の上でもって。
たとえ相手が米国でも、かりに戦争となって国土を蹂躙されても、ペルシア帝国の末裔たちは意気軒高として生きつづけよう。
信仰の強さもあろうが、それにもまして民族の誇りといったものが、経済的な困窮を乗り越えさせているのだろう。
ペルーではかつてフジモリ大統領が、これからは教育だと訴えて、6000校の学校を建てることを選挙公約に掲げた。
結果的には、1万校を超す学校をペルー中に設立して、こどもたちの教育に力を注いだ。
人々はものすごく貧しい生活の中でも、子どもたちには制服を着せて学校へ通わせた。
それから20数年、ペルーの人々の教育レベルはずいぶんと上がり、経済発展の人的インフラが強化された。
このように歴史をたどりながら、民族の興亡をみていくにつれ、日本の置かれた状況が微妙になってきてしまう。
もちろん、日本は2000年を超す独立した国としての輝かしい歴史を誇っている。
信長による政教分離、兵農分離、方面軍の設立、鉄甲船などは、近代を切り開いた事象として、世界的にもっともっと評価されていい。
あるいは、シンガポール沖海戦で英国の旗艦戦艦プリンスオブウェールズを撃沈させて、航空兵力の時代へと世界の戦史に新しいページを開いたのは、日本海軍である。
その日本だが、敗戦後はどうだろう。 完全に米国の属国になり下がったまま、民族の血というか誇りはどこへやらだ。
それどころか、独立国家としての誇りや矜持といったものを、自ら薄める方向にひた走っているのではなかろうか。