投資運用というと、すぐお金を儲けようとすることと考えてしまいがち。
お金を儲けようとすると、誰かが儲けられてしまう。 こちらが儲ければ、誰かが損をする。
儲けたい、損したくないで、みながお金の分取り合いをする。 それが、投資運用ということになっている。
そして、そういったお金の分取り合いの場としてマーケットが整備されてきた。 天下公認の分捕り合い場だ。
そもそもが間違っている。 お金は天下のまわりもので、経済活動を潤滑にさせるために存在する。
経済活動が円滑に進むことで、相手側には満足が得られ、その報酬としてこちらに利益がもたらされる。
利益はお金の形でもたらされるが、相手側も喜んで支払ってくれる。 決して、分捕り合いではない。
本当の投資運用も、みなが幸せになっていく上でもたらされる金銭的報酬、それを期待するものである。
つまり投資運用は、お金の分捕り合いをして、誰かが儲け別の誰かが損するする、ゼロサムゲームではない。
あくまでも皆が幸せになることが前提の、プラスサムのゲームなのだ。 全員にとってプラス、それがプラスサムの世界である。
そうはいうものの、投資運用の多くはマーケットを通して行われる。 マーケットを通して、お金を必要としているところへまわしてあげることになる。
そこ、つまりマーケットには、ゼロサムゲームで眼の色を変えた、分捕り合い連中がひしめき合っている。
そんな修羅場のようなマーケットに飛び込んで、分捕り合い連中を尻目に本物の投資運用をしていく、これは愉快である。
連中は儲けることしか眼中にない。 儲かりそうなものには飛びつくし、損させられそうになったらすぐ逃げる。
そういった連中を手玉にとって、彼らがワッと逃げ出したら、おもむろに買いに行く。
連中がガンガンに買ってきたら、ご苦労さんと言って利益確定の売りを出していく。
こちらは儲けよう儲けようで眼をギラギラさせるなんて一切ない。 だけど、ゼロサム連中のドタバタを尻目に儲かってしまう。
でも、それだとお金をまわしていないのでは? 一体どこへ、まわしているのか?
先ず、暴落相場で買いに行くことで、付和雷同の腰抜け連中に代わって、腰の据わった投資をする。
企業にとっては、実にありがたい応援株主の登場である。 株価暴落時でも思い切った経営を貫ける。
次に、暴落相場を売り逃げるのは、マーケットを通して経済の現場からお金が引いていくことである。
それは経済活動の縮小均衡につながっていく。 誰の幸せにもならない。
一方、株価暴落時などに長期投資の買いが入ることは、マーケットを通して経済の現場にお金をまわすことになる。
これは経済活動の拡大再生産に寄与し、みなの幸せにつながっていく。 立派にお金をまわしているではないか。
もうひとつ付け加えると、投資運用では企業を選ぶことが大前提となる。
心底から応援したい企業のみに、お金をまわしていくのだ。 何でも儲かればいいのではない。
どういった企業を応援して、お金が儲かっていったかが問われる、それが本物の投資運用である。