大人としての責任

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週末は、珍しく2日とも東京でのセミナーとなった。 近いから1時間ちょっとで行けるので、家の片付けもできて有り難かった。

いつも同様に一般の投資と、われわれの長期投資との違いを分かりやすく説明する。

一般の投資では個人も機関投資家も、ほとんどがマーケットでの価格変動にどう対応して、どう値ざやを稼いでいくかを追求する。

長期投資は違う。 マーケットとはつかず離れずの立ち位置を守り、長期で応援したい企業の株価が大きく売り込まれたら買いにいく。

応援買いした後は、一般投資家の買い人気が噴き上がって来るのを待って、すこしずつ利益確定の売りを出していくだけ。

やることは、すこぶる単純明快で、難しい勉強などまったく必要なし。 安く買っておいては、高くなって売るを淡々と繰り返すのみ。

その代わり、応援したい企業の動向はあらゆる角度から、生活者目線で厳しく観察し続ける。

生活者株主という意識と責任感でもって、企業を厳しくかつ温かく応援できるかどうかを、ずっと見守るのだ。

このように説明してくると、その延長線上で個人個人の生き様も問われていると、セミナー参加者は気付き始める。

そう、良い社会をつくっていこう、ステキな世の中を子供たちに残してやろうという方向性の中に長期投資がある。

その方向性を共有できる企業を熱く応援していくのだ。 応援していく過程で、長期投資のリターンも後からついてくる。

ここのところが理解できてくると、長期投資がますます面白くなる。 逆の角度からみて見ればいい。 簡単にイメージできる。

最近の日本では、将来が不安だ、老後が不安だ、年金は大丈夫だろうかといった、自分のことを案じるだけの大人がやたら多い。

いつも言うんだけど、「いい年こいて、なんともダラシナイ」、そういった大人ばっかりである。

ところが、ウチのファンド仲間をはじめとして長期投資をやっている人たちは、時間の経過とともに財産づくりが進んでいく。

どこかで経済的な自立も見えてくる。 もうその頃には、年金不安も老後不安も消え去っている。

それどころか、長期投資の先では、お金が殖えすぎてどうしましょうのステージが待っている。

どんどん殖えていくお金をカッコ好くつかう、カッコ好く世の中にまわしていく段階に入っていけるのだ。

すると、長期投資で経済的自立を遂げ、その先では世の中にカッコ好くお金をまわしていける人生が現実となってくる。

そういった大人らしい大人が、どんどん身近でみられるようになっていくと、そこで育つ子供たちはどれだけ幸せなことか。

この一連の展開、やるやらないは人それぞれの自由。 だが、大人としての責任は自覚したいものである。