70年代から80年代前半にかけて、英国や米国の経済停滞と社会の頽廃ぶりは酷かった。
そこで登場したのが、英サッチャー首相であり米レーガン大統領である。
お二人ともいろいろ言われるが、英国病を一掃したり、米国を復活させたのは紛れもない事実である。
大まかにいうと、徹底的な規制緩和や民営化と大幅減税とで、国民の自助努力に火をつけた。
国はもうなにもできない。 動ける人から、どんどん前向きに動いてもらい、それでもって経済を活性化させるしかない。
さっさと動いた方が得ですよと、国民の自発的な行動を煽ったことで、3年目あたりから効果が出だして、その後16年余にわたって年3%強の成長を成し遂げた。
惜しむらくは、金融セクターを野放図に膨張させてしまったこと。 それが、2000年代の金融バブルにつながっていった。
一方、ドイツは90年のベルリンの壁崩壊を経て、91年に東西ドイツの統合を果たした。
それまでの驚異的な繁栄で働かなくなった西ドイツ国民と、社会主義的な怠惰が蔓延していた東ドイツが一緒になったから大変。
統合ドイツは、働かない国民と重い年金負担を抱えて、財政は急悪化するなどヨーロッパの病人といわれたものだ。
そんな中、96年に登場したのがシュレーダー首相である。 労働者を代表する政党である社民党の党首。
そのシュレーダー首相が労働改革を断行したのだ。 企業の活力を強化するには、働かない労働者を自由に買い越して構わないという政策を打ち出した。
失業者には生活費を補てんし、国が責任をもって職業再教育を施して社会復帰を図らせるとした。
もうひとつが、ドイツ企業を銀行支配下から解放したこと。 昔からドイツ企業は大株主である銀行の操り人形みたいな立場にあった。
このままでは企業の活力を削ぐばかりと、シュレーダー政権は銀行に保有株の売却を強制した。
売却益に対する課税は免除するという条件で、ドイツ銀行などに保有株を売却させたわけだ。
ふたつの政策を断行したことで、その後4年ほど「病めるドイツ」は一層の混乱に陥った。
しかし、2000年代に入る頃からシュレーダー改革の効果が出てきて、ドイツ企業の活力はみるみる高まってきた。
そこへ、拡大EUの関税撤廃と市場統合だ。 共通通貨ユーロを背に、ドイツ企業は拡大EU市場に殴り込みをかけ、ドイツ一人勝ちにつなげていった。
上手い具合に、職業再教育を受けたドイツ人失業者が新規の労働力として、貴重な戦力となっていった。
しかしながら、大きな成果が出だした矢先の総選挙で社民党は負けて、シュレーダー首相は責任を取らされた。
その後に首相となったメルケル氏が、一人勝ちドイツの栄誉を欲しいがままにしているのは、大きな皮肉である。
ともあれ、ヨーロッパの病人といわれたドイツを見事に復活させたシュレーダー首相の功績は、歴史に残る偉大なものである。
ひるがえって、日本はどうだろう。 安倍首相は最長の首相在任記録を更新しつつあるが、日本経済はどうもパッとしない。
シュレーダー首相のドイツ改革とは違ったバージョンとなろうが、日本の大改革を断行してもらいたいものだ。