英語の Organic (オーガニック)には、基本的なとか本質的なとか、そこに本来備わっているといった意味がある。
それに対しては、人工的とか人為的なとか、なんらかの意図とか強制力とかが入り込んだもの全般が挙げられよう。
もちろん、オーガニックのものが良くて、それ以外は本質的でないから、ダメということではない。
こんな社会にしていきたいといった夢や、これがあれば便利だろうという思いを現実なものにしていこうとする、人間ならではの行動で称賛すべき例は、いくらでもある。
また、オーガニックなという言葉には、人間が本来持っている優しさや思いやりといったものも入ってくるので、線引きは難しい。
字句の解釈は横へ置いて、今日のテーマである、オーガニックな富の再分配というものを考えてみたい。
通常は、税制でもって富の再分配を図ろうとする。 高所得層には高い税率で富を拠出させて、それを低所得層にまわしてやるわけだ。
これは国家権力とか法制度を背景として、強制的に富を再分配させようとするものである。
一方、オーガニックな富の再分配の典型例が寄付である。 強制力はどこにも働いていない。
それでも、お金のある人から、お金のない人へ富は移っていく。 税制とかによる強制力は伴わない、ごく自然体の富の再分配となる。
その利点は、お金をまわしてあげようとする人の意思や思いを、たっぷりと乗せられることだろう。
税の場合は、強制的にお金を取り上げられるは、それがどういう方向や形で再分配されるか知れないは、といった不満が常に伴う。
寄付の場合だと、お金を出す方が好きに方向を決められる。 どうせなら、こういった人々を応援させてもらいたいとする取捨選択ができる。
同じ貧しい人たちでも、なんとか自力回復したい、自立したいという意思で頑張っている人々には、自然と応援したくなる。
ところが、施されるのが当たり前と言ってはばからない人達には、ちょっとねとためらいたくなるのが人情だろう。
その流れでもって、自助自立の人々の立ち直りは、どんどん応援される。 施されるのが当たり前としていた人たちは置いてきぼりを食らい、自分らも頑張らねばとなっていく。
結果として、貧しい人たち全般に自力立ち直りの意識が広がっていく。 これぞ、まさしくオーガニックな社会厚生である。
寄付の対象は、貧しい人たちだけではない。 世の中のあちこちで頑張っている人々に、もっと頑張ってという応援が届けば、勇気100倍となる。
これって、将来に向けての立派な投資ではなかろうか。 そう、寄付の文化を高めるのは、長期投資の一環でもあるのだ。