社会的格差の問題がひんぱんに取沙汰される。 だからといって、単純に強欲のしからしめるところとか資本主義の限界とかを騒いだところで、ちょっとやそっとでは収まりそうにない。 むしろ、拡大の方向にある。
なにしろ、強欲といったところで、えげつない利己主義もあれば、小市民的なものもある。 どちらにも共通しているのは、「自分さえ良ければ、社会がどうなろうと知ったことではない」の生き様である。
金を稼いだ者が勝ちといってはばからない、文字通りのえげつない連中は山ほどいて、しばしば報道されるとおり。 日本でいえば、かつてなら政商の跋扈を、最近では詐欺的な犯罪を犯して荒稼ぎしているようなケースが、しばしば報道される。
海外では、たとえば法の盲点を突いたり、法を逆手にとって荒稼ぎする知恵者が、うようよしている。 表面的には、立派な弁護士事務所を構えてはいるが、やることそのものは強引な金稼ぎである。
そういった連中には、人間性を疑いたくなることもしばしば。 格差など当然であって、悔しかったら俺のように稼いだらいいだろうの一言。
一方、小市民的な強欲の身近な例は高齢者層でみると分かりやすい。 医療保険の財政が悪化していることなどお構いなしに、もらえるものはもらっておけで平気な顔している。
別に悪気はないが、やはり自分のことしか考えていない。 それも、今の状態が維持できればいいで、将来どうなるかなどまったくの無関心。
こうみてくると、実に多くの人々が本当の豊かさを知らず、心貧しく生きているといえよう。 仏教でいう小欲知足、日本に昔からある「ありがたいな」「おかげさまで」「お互いさま」の生き方を、ほんのちょっとでも実践すれば、まったく違ってくるのにと思う。
では、資本主義の限界とやらは? 前回のブログに書いたが、北欧3国の教訓にあるように、人間の叡智でもっていくらでも調整できる。
大事なのは、資本主義の最大の利点である、経済のダイナミズムを削がないことだ。 その上で、人間的な優しさを前面に出した分配を考えよう。
やみくもに公平公正に分配などというと、すぐ人間の持つズルさが顔を出してくる。 楽して分配にありつこうとするズルさだ。 そっちへ行ってしまうと、社会全体が退廃の道を進みだす。
活力にあふれる経済や社会を築いていくには、それこそ公平公正な競争に誰もが自由に参加でき、そこで優勝劣敗と適者生存に自分をさらし続ける。 もちろん、いくらでも敗者復活の挑戦ができるといった、経済の大らかさとダイナミズムが不可欠である。
社会的弱者といわれる方々も経済的な自立を目指して、できることから少しずつ競争に参加してもらう。 その方向で手厚い援助をしていく。
人間みな自助の努力でもって、自尊心と誇りを大事に生きていっていい。 それをサポートするのが、本当の社会的分配であろう。
透明性が高く公平公正な競争にさらされて生きていくと、放っておいても社会性の高い生き様になっていく。 なにしろ、社会あってこそ生活が成り立っていくのだから。
きれいごとに過ぎる? そうでもない、本物の長期投資を世の中に広げていけば、そのまま心優しく活力にあふれた経済や社会をつくっていける。
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