金融経済と実体経済

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 金融は経済の血液であり、潤滑油でもある。 経済活動つまり人々の生活が滞りなく織りなされるのに、お金というものを介在させるときわめて便利である。

 主体はあくまでも経済活動であって、金融はまさに潤滑油の役割を果たす。 いつも経済活動とはつかず離れずの立ち位置を守り、ひたすら横から後ろから経済を支えていく。 それが金融の本来の姿である。

 ところが、この30年ほどの間に金融というものが経済の主役顔をするようになってきた。 本来なら、経済は人々の幸せや世の中の富の増殖を求めるはずなのに、経済が金融に引きずり回されるようになってしまったのだ。

 お金をひたすら追い求めては、ただただお金を増やすことが目的。 社会や人々の富の増殖などは後回しにして、あるいはそんなものは念頭に置くことなしに、投資収益や値ざやのかさ上げを狙う。

 そういった価値観は、金融機関や機関投資家と相性がいい。 彼らはもともとお金を相手にしているから、お金を追い回しては利益を得ていく流れにはいくらでも乗ってくる。

 やっかいなことに、金融はマーケットという場をフル活用する。 マーケットはもともと経済活動の原点である、モノとモノの交換やモノとお金との交換がスムーズにいくよう、自然発生的に生まれ発展拡大してきた「場」である。

 そういった「場」であるマーケットに、金融は本来の役割を超えて踊り込んできて、ディーリング益の最大化を狙うようになった。 同時に、金融収益につながるような投資商品を続々と生み出しては、マーケットに放り込んでくる。

 いつの間にか、マーケットではモノとモノの交換やモノとお金の交換よりも、金融取引が主体となってしまった。 すなわち、ディーリング益を増やすための金融取引や、お金と金融商品との交換などがマーケットでの取引の過半を制するようになったのだ。

 もうひとつやっかいなのは、マーケットの匿名性である。 どのような参加者がどのような目的でマーケットに参加してきても、そこで問われるのは勝ったか負けたかである。 つまり勝てば官軍で、大きな投資収益を手にしたものが生き残る。

 金融取引が主体となってきたマーケットでは、ますますお金を追い求める流れが強くなる。 そして、勝てば官軍で「あとは野となれ山となれ」の価値観が、経済全体を覆ってくる。

 これが金融経済である。 実体経済とはどんどんかけ離れたところまで金融取引はいってしまう。 そして、その反動で実体経済に大きなしわ寄せを押し付ける。

 たとえば、原油や資源価格がそうだった。 金融取引が買って買いまくって価格を天井知らずで押し上げて、今度は売り方を主体とした金融取引で価格を暴落させた。

 それに翻弄されて新興国経済は天国と地獄を見ている。 また、原油や資源価格が乱高下した結果、どのあたりが妥当な価格水準なのかの価格形成機能もマヒさせられてしまった。 世界経済には大きなブレーキとなった。

 いま、マイナス金利とか史上空前の大量資金供給とかにEUや日本は追い込まれているが、これらも金融の暴走の後始末を押し付けられたものだ。 国民はえらい迷惑を蒙っている。

 どうしたらいい? やはり、長期投資の文化を広げていくしかない。 金融が主役同然の顔している経済体制は、ちょっとやそっとでは変わりそうにない。

 とはいえ、経済は人々の生活が集まったものである。 したがって、多くの人々がもっと落ち着いた経済を求めるようになっていけば、状況は変えられる。

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