政治に一番欠けているのが、現状を正直に話そうとする姿勢であろう。 国民の前に現状の厳しさを正確にさらけ出して、それをどう解決していこうとしているのかを将来の展望を踏まえて語るのが政治家の役割のはず。
なにかも表に出すと、過去の不首尾やでたらめ加減の責任が追及されかねないといっては、問題を先送りしてきたのがこれまでの政治。 また表面上の取り繕いで、やはり責任逃れを図ってきたのが官僚の姿。
しかし、そういった引き伸ばしはもう限界に近い。 たとえば、年金財政で国民年金の未加入率が異常な水準まで高まっている一方で、年金運用の予想利回りを4.1%で計算している。 年金の積立額が思うように伸びない横で、10年物国債で年0.77%の低利回りの現状なのに年4.1%の成績を出すといっているのだ。
数年前から年金の給付が積み立て額を上回ってきている。 それなのに未加入率の著増と、年3%を超す運用の逆ザヤである。 どう考えても、つじつまが合わない。 それでも、5年に一度の年金健全化案という作文を後生大事にしている官僚の無責任さと、どこまで付き合っていられようか?
もちろん、10年以上の長期運用にまわせば、年にならして5%とか6%の成績は難しいことではない。 しかし、年金運用の現場は毎年の成績をぎっちり管理監督する資金運用の世界。 とてもではないが、本格的な長期投資などやらせてもらえない。
このままいくと、いまの年金制度がそう遠くない先で空中分解しかねないが、その数字的根拠さえも国民の前には出してくれない。 だから、年金不安は余計に高まるわけだ。
そこで消費税だが、その使途がはっきりしない。 国民から吸い上げた消費税を訳の分からない予算ばら撒きに使われるのは御免蒙るといった反対論が出てくるのも当然である。
いつも書いているように、年金など社会保障費と一般会計を分けてしまって、消費税は全額を年金財政の健全化に振り向ければすっきりする。 国民のすべてがその恩恵に浴する年金を、国民全員が広く薄く負担するとなれば消費税への理解も進む。 そして、一般会計は法人税や所得税で賄うとなれば、財政の透明性は確保できる。
その前に、とにもかくにも年金など国家財政の現状を正直にさらけ出すことだ。 どれだけ酷いかが分からなければ、抜本的な対策も打ちようがない。