米国の地銀が3行、相次いで経営破綻の危機に陥った。 その飛び火が、クレディスイスに降りかかってきた。
スイスの名門銀行であるクレディスイスは、数年前からディーリング投機の失敗などで経営が揺らいでいた。
なんらかの弱みがあれば、すかさず突いてくるのが市場である。
マーケットには儲けよう、損はしたくないの資金が集まっている。
マネーの行動は、いつもドライである。 とりわけ、損失回避には情け容赦もない。
図式は、こんな感じだ。 先ずは、先行きに不安を感じた株主の一部が逃げ出しはじめる。
当初は、ほんのちょっとした売りでも、株価の下げがマーケット内で不安意識をあっという間に広げる。
それが株価の急落につながるや、たちまち経営不安が現実味を帯びてくる。
そうなると、預金者や投資家など銀行に資金を預けている顧客たちが、資金を回収しようと解約に走り出す。
預かっている資金の流出に対応すべく、銀行は保有資産の売却を余儀なくされる。
ところが、保有している国債などの資産は金利上昇で評価損に陥っている。
背に腹は代えられないと、保有国債を売って現金化を急げば、銀行経営にとっては投資損の発生となる。
大きな投資損失の計上が、さらなる顧客資金の流出を煽る。 その悪循環で、銀行経営は一気に窮地に追い込まれる。
今回のクレディスイスの窮地も、そんな展開となっている。 さて、この先どんな結末となるのだろう。
こう書いてくると、市場の非情さと思われるかもしれないが、そのドライな非情さが重要な機能を果たしているのだ。
マーケットにおいて万人の眼に曝されることで、適者生存と不適格者の排除が刻々と進められていく。
それは経済の健全なる運営に不可欠な機能である。