機関投資家運用の限界

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運用のプロであるはずの機関投資家だが、いろいろな社会問題を引き起こしている。

彼らは立派な運用成績を投資家顧客に届ける、そういった任務を与えられたプロの運用者であるはず。

ところが、実際に問われるのは運用成績という数字であって、それを大きくしろと迫られる。

与えられた運用分野で、ひたすら成績を上げろと迫られると、どうしても部分最適の追求に走ってしまう。

巨額の資金を運用する機関投資家たちだ、本来なら経済や社会全体の最適に資するべき運用を心がける責任がある。

ところが、それぞれの運用者たちが自分の成績もあって、部分最適運用に走ると社会にいろいろな支障をきたす。

それが高じて、SRI(社会責任投資)やESG(環境、社会、企業統治)重視とか、SDGs(持続性ある社会の発展のための目指すべきゴール)といった、お題目が問われる事態となってきているのだ。

あるいは、機関投資家による株式運用の70%前後が、平均株価を追いかけるインデックス運用となっている。

これは、とにかく平均株価に負けない成績数字を叩きだせば良しとする、世界の機関投資家運用のプロ意識低下に起因している。

プロ意識の低下? 平均株価を追いかけるだけのインデックス運用なら、コンピュータにやらせておけばいい。

年金など投資家サイドは、機関投資家にわざわざ大きな費用を払って運用を委託する必要もない。

本当に運用のプロなら、平均株価を上回る成績を叩きだす能力と実績を誇るべきである。

ところが現実は、平均株価を追いかけるインデックス運用でもって、プロの株式投資運用としている。

その結果、将来の社会をつくっていこうとする投資運用本来の任務は、どこへやらとなってしまっている。

現に、世界の機関投資家のどこも、投資家顧客に自社が指針としている運用の目的や方向性を打ち出していない。

それどころか、企業の取捨選別もしない玉石混交の株式投資に明け暮れては、巨額の運用収入を得ている。

それで、一体どれだけ社会に貢献しているのだろう。 巨額の資金を運用しているだけに、社会への責任は重い。

年金運用をはじめ世界の機関投資家のあるべき姿を、そろそろ整理すべきだろう。

とはいえ、先進国を中心として機関投資家運用は一つの巨大システムとなっていて、そう簡単に変えられそうにない。

おそらくだが、来る金融緩和バブル崩壊で金融マーケットも機関投資運用の現場もズタズタになろう。

そこから、抜本的な見直しとなるのだろう。 その時は、われわれ本格派の長期投資家が一つのモデルとなる。