世の中には、「なんで、なんのために投資するのか」の理念や哲学のない「安っぽい投資」であふれている。
ただ儲かればいいで、お金でお金を追いかけまわす、それこそマネーゲームの延長線を投資としている。
もっと笑ってしまうのは、「投資は投機の失敗したもの」と昔から米国で言われている。
切れ味の鋭さが命でもあるホンモノの投機が失敗して、塩漬け投資を余儀なくされた状態を茶化しているわけだ。
高値つかみして塩漬け投資に追い込まれた投資家は、ただひたすらマーケットの戻りを待つ。
その心はといえば、こんなところで投げ売って実現損を出したくない、ただそれだけだ。
実現損を出したくない、それはなんとも悔しい、せめてトントンで売り逃げたい、、、
これらは、如何に理念や哲学なきマネーゲーム投資をやってきたかの象徴であろう。
昨今の新NISAお祭り騒ぎも、マネーゲーム投資と五十歩百歩である。
老後に備えてとか、人生100年時代だから投資しなければといった動機は、多くの人が共有するところ。
しかしながら、投資しなければの動機づけと、理念や哲学のない投資とは別物である。
早い話、新NISAのお祭り騒ぎを囃している金融サイドが、一体どこまで長期の投資哲学を持っているのだろうか。
マーケットを追い回すを商売としている彼らが、どうやって一般生活者の資産形成を手伝おうとしているのか。
それこそ、彼ら金融サイドに確固とした投資の理念や哲学なかりせば、とうてい責任を全うできない。
もちろん、経営の安定性も問われれる。 一般個人の長期の資産形成を、どこまで親身になってお手伝いできるかだ。
われわれ本格派の長期投資家からみるに、その時々のマーケットに飛び込んでいって儲けようとする彼らだ。
マネーゲームのプロではあっても、投資の理念や哲学なき彼らと一緒に資産形成など、なんとも心もとない。
一方、投資家の方も新NISAだとか「貯蓄から投資へ」とやらで、フラッと投資をはじめても吹っ飛ぶだけだ。
どこかで暴落相場に遭遇したら、投資をはじめたばかりの人々の多くは、たちまちヘナヘナと腰折れする。
まさに、疾風に勁草を知るで、「お金に働いてもらう」意識なき、安っぽい投資家達は立っていられないだろう。
長期投資の良さも凄さも、時間が経ってみなければ、真に分かってもらえないのは歴史の教えるところ。
なるほど、こういうのが本物の投資なんだなと、残った勁草は納得する。
そこには、投資の理念や哲学が燦然と輝いているはず。