昔から、ある国や民族の興亡で決定的な要因となってきたのが、民力というか人々のエネルギーである。
その典型が、わが日本である。 明治期の勃興も、戦後の廃墟からの大復興も、日本民族の力あってのこと。
資源も石油などエネルギーもない日本が、世界第2の経済大国へとのし上がれたのも、ひとえに人々の努力あってのこと。
天然資源などに恵まれた国々の多くが、さほど経済成長や国力増強につなげていけていないのとは大違いである。
そうなのだ、民力というものは、経済力をはじめとする国力の根幹をなすと考えていい。
ところが、民力は国民が経済的な豊かさを享受するにしたがって、落ちていくようだ。
落ちていくというよりも、国民全般により豊かな生活へのあこがれが一段落し、闘争心も落ち着いていくのだろう。
現状に満足する人々が増えていくにしたがって、アニマルスピリッツが薄れていくのだ。
それを、繁栄ボケともいう。 かつて1980年代に当時の西ドイツが、まさにそうだった。
第2次大戦からの驚異的な復興で、日本と並んで世界の奇跡と称された西ドイツでは、勤勉だった国民が働かなくなっていった。
相変わらず西ドイツの経済力は強かったが、国民の多くが休暇や余暇を楽しむ方へどんどん流れていった。
そして、90年代に入って東西ドイツが統合して、ドイツという国家が誕生した。
社会主義国だった旧東ドイツ国民にとって、競争とか切磋琢磨というものには未知だった。
定められた仕事をこなすだけの彼らと、働かなくなった旧西ドイツ国民とが合体したのだ。
当然のことのように、統一ドイツは国際的な競争力を失い、ヨーロッパの病人といわれるほど悲惨な状態に陥った。
96年に登場したシュレーダー政権が抜本的な労働改革を断行して、4~5年かけてドイツ経済を蘇らせた。
企業に対しては、働かない労働者の解雇を自由としてやり、失業者には国が手厚い再教育を施したのだ。
かくして、21世紀に入ると病めるドイツは、EUで一人勝ちのドイツへと大変身した。
そのドイツだが、間もなく日本を追い抜いて、世界第3位の経済大国に躍り出ようとしている。
ひるがえって、わが日本はどうだろう? 働かないは、ゆでガエル状況に甘んじるはで、ジリ貧をたどっている。
シュレーダー首相のような偉大な政治家の登場を待つのか? でも、それはいつのことか当てにはできない。
ならば、国民ひとり一人が意識して、活力とエネルギーを取り戻すしかない。
あるいは、自助自立の気概を燃やす人と、だらけたままの人との差がついていくのかもしれない。