この30年ほど、場合によっては40年以上になるが、世界とりわけ先進国は景気後退を異常なまでに警戒してきた。
いわゆるリセッション回避を、どこの国も経済政策の主眼としたきたわけだ。
民主主義国家として、国民の支持を集めるためにも景気後退はなんとしても避けたい。
そこで、経済活動が低調になるや即座に景気刺激につながるような政策を連発してきたということだ。
その挙げ句、中央銀行にも景気対策を講じるように要請するようにまで至った。
それが、金融緩和政策である。 政策金利をゼロ同然にまで下げさせ、資金を大量に市場投入させる。
これらのどちらもインフレ政策である。 通貨の番人であるはずの中央銀行にインフレ促進策を強要しているのだ。
通貨の番人? そう、一国の通貨の信用を維持し、国民や企業が安心して経済活動を営めるように、眼を光らせるのが中央銀行の仕事のはず。
なのに、金利をゼロとかマイナスまで下げ、大量に資金を供給させるのは、通貨の番人の責任放棄もいいところ。
それでも、とにかくリセッション回避が先決だということで、先進国は無理に無理を重ねてきたわけだ。
さすがに、昨年あたりからインフレ圧力の台頭と、それに伴う金利上昇が経済の現場から迫られるようになった。
いってみれば、経済合理性の力が働きだしたわけで、これには逆らいようがない。
なにがなんでもリセッション回避とする人為に対し、もういい加減にしろよという経済の現場からの自然の圧力だ。
そういった自然の圧力は、経済の現場での矛盾や不合理に起因した反発ある力でもある。
たとえば、リセッション回避でずっとやってきたが、その間になにが起こったか?
一部の高所得層が金融収入を異常に膨らませた横で、大多数の国民の低所得化が進んだではないか。
それが、世界的に消費市場の伸び悩みによる成長ブレーキと、生活苦から権威主義に走る土壌を醸成してきたはず。
また、金融緩和政策によってゾンビ企業を大量生産し、それが企業活動全般に甘えの経営をはびこらせた。
これだけ世界中でイノベーションが語られるのも、企業人の間で事業家精神が薄れてきている証左である。
あるいは、昔から不況の効用といわれている、より活力ある企業への資本や労働力の移転が、からきし進んでいない。
どれもこれも、健全なる経済成長とは程遠い現象である。 それもあって、この金融緩和バブルの一刻も早い崩壊が望まれるわけだ。
一度ひどいリセッションに陥ってくれた方が、適者生存と経済社会の効率化が進むはず。