所得格差の拡大が深刻化?あり得ないよ

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経済活動のあらゆる分野で、 AI (人工知能)やロボットが人間の仕事をどんどん奪っていく。

それらの研究や開発と関連ビジネスに携わる人たちは、ますます高給で遇されることになる。

一方、これまでの生産活動や物流が自動化されることで、大多数の普通の人達は仕事を失い、低所得化を余儀なくされる。

ほんの一部の高所得層にますます富が集中する横で、中間層の没落と貧困化は避けられない。

まあ、こんな具合で識者とかマスコミは、近未来の社会像と富の一極集中構造を、これでもかこれでもかと騒ぎ立ててくれる。

社会というものを一面的にみて、頭でっかちに考えたら、そういうことなんだろう。

しかし、彼らは人々の生活で社会や経済が成り立っているという、当たり前の当たり前から浮き上がっていることに気が付かない。

そもそも、一部の高等教育を受けた人たちに所得が集中し、大多数が貧民化して行った先では、経済がガタ崩れとなるだけのこと。

いかに生産活動を自動化しようと、その製品を買う人たちが激減したら、ビジネスどころではない。

また、AI やデータベースで管理社会を構築していったところで、貧民化した大衆相手では大した価値もない。

江戸時代の嫌な表現でいうと、農民は生かさず殺さずでは、経済も社会も成り立たない。

逆説的だが、生かさず殺さずの水準を上へあげれば上げるほど、AI やらロボットやらが活躍できる。

資本家とやらがいかに富の独占集中を狙おうと、一般大衆の購買力を削ぎ落としていった先では、自滅するだけのこと。

では、どんな社会構造となっていくのだろうか? 歴史に学び、どんな展開となっていったのかを参考にしながら、自分で考えてみよう。

18世紀後半の英国の産業革命では、ラッダイト運動が起こった。 仕事を奪われた職人たちが繊維機械の叩き壊しに走ったのだ。

それでも、機械化や工業化は避けられなかった。 職を失った職人たちは、それぞれの新しい生活を模索していった。

便利なものは便利なのだ。 しかし、それを享受するのはあくまでも人間である。 それも、一般大衆なのだ。

その一般大衆の生活あってこそ、経済活動も企業ビジネスも成り立っていく。 これは大原則である。

AI やロボットの普及の先で、人々の生活はどうなっていくのか? なんで生活の糧を稼ぎ、なにを喜びに生きていくのか?

識者とかの頭でっかちに振り回されず、庶民感覚でもって考えてみよう。

しっかり自分の頭で考えて、自分の生活を自助努力でつくっていった人たちは、いつの時代もなんとかなっていくもの。

これも、歴史からいくらでも学べる。