経済では、何を信じるのか

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 世の中、何が起こるか知れたものではない。 頼みの会社が潰れたり、経営が不安定になることもある。 ここなら大丈夫と思っていた取引先が競争相手に取られてしまったり、知らず知らず顧客基盤が崩れていっていたとかも、よくある話。

 ビジネスでは競争があるから、淘汰も勝ち残りも程度の差こそあれ発生して当たり前。 よく社会的弱者を守れというが個人の場合でも、よほど気の毒な境遇の人たちを除くと、国だろうと誰だろうと果たしてどこまで守れるものか。 まして、企業経営において、弱者を守るなど全くのナンセンス。

 むしろ、優勝劣敗と適者生存の厳しさを乗り越えて敗者復活を果たす人たちが続出する社会の方が、よほど健全で力強いものがある。 復活を果たすというのは、その人達が新しい経済条件や環境での適応力を高めたからに他ならない。

 それが、新陳代謝を促して経済や社会を活性化させていく原動力となる。 企業でみると、新しい価値観を世に提示してのし上がろうとするベンチャーだけではない。 紆余曲折を経ながらも、しぶとく生き残っている企業が日本中あちこちで頑張っている。 そういうところが、じわりじわりと雇用を増やしたりで経済にずいぶん貢献している。

 よく、天は自らを助ける者を助くといわれる。 企業経営においては自助の意思と努力、それ以外に何もない。 ベンチャーなどで一時的なラッキーがあっても、自助の経営努力を積み重ねることなしに永続的な発展はない。

 では個人の場合、一体どんな自助があるのだろう? いざといった時に頼りになるのは、健康とある程度の財産そして家族だろうか。 よく交友関係といわれるが、逆境時や没落した時に、なお頼れる人はそうそういないもの。

 そこで財産だが、ここにもやはり自助の意識は欠かせない。 たとえば銀行預金をどこまで頼りに出来るものだろうか。 本物のプライベートバンキングサービスでは、本格的な長期運用を進めながらも時として発生する余資の預け先の銀行を厳選する。 長い歴史と経験で、どこの銀行も安全なんて端から信じていない。

 余資を預け入れる銀行の経営の健全性を継続的にチェックしていて、よほど健全な銀行にしか顧客資産を託せない。 なにしろ、世の中なにが起こるか知れたものではないのだから。

 いざという時に頼りにならないものには手を出さない、これも立派な自助の意識である。 日本の個人マネーは安全安全といって猫も杓子も預貯金に預けたまま、そこから先は思考停止している。 それも、年0.02%という財産づくりにほど遠い利子収入しか得られないというのに。 

 その点、われわれの株式投資は自助の財産づくりそのものである。 先ず、われわれの毎日の生活に欠かせない企業、つまり一般生活者がずっと売り上げに貢献し続ける企業を投資対象として選ぶから、よほどの天変地異や経済大混乱でも潰れやしない。 そう、どんなことがあっても潰れない企業の株主になっておくのが、お金の置き場所として一番安全なのだ。

 そして、そういった企業を応援しようと株価が大きく売られている時に、断固たる買い出動する。 潰れっこない企業の株式を皆が売っている安値で買っておくのだから、ほんのちょっと株価が上昇すればもう利益である。 一般的に恐れられている株式投資の値下がりリスクとやらも関係ない。

 このあたりのところは、これからどんどん認識が高まっていくことだろう。