愛と勇気とサムマネー

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 かつてチャプリンが言っていた。 人生において、これだけは大事である。 それは、愛と勇気とサムマネーであると。

 愛と勇気、これはもう絶対であろう。 そこへ、サムマネーとくるのが意味深である。 お金はいくらでもあればいいのではない。 サムマネーなのだ。

 チャプリンは幼少時、極貧の生活を体験している。 そこまでは酷くないとしても、いささか貧しい生活を経験したが、いろいろなことに触れられた。

 先ずはとにかく食べることだ。 食べなくては死んでしまう。 とはいえ、お金もないからそう多くの食べ物にはありつけない。

 いつも腹ペコで、食い物を見つけようと眼ばかりギラギラしてくる。 チャプリン映画の多くに出てくる子供たちの、あの生きていこうと必死の姿が、まさにそれだ。

 そんな中、自分の食べるものさえあるかないかのギリギリ状態にあっても、すぐ隣にいる何も食べるものがない人に少し分けてあげようとする優しさに、幾度も出会ってきた。

 なけなしの食事で、親が子供にはたっぷり食べさせて、自分は空腹を我慢するのだったら、ごく自然にできるかもしれない。 お腹を満たしてスヤスヤ眠る子供の寝顔を眺めて、腹の足しにすることは親になればできる。

 それが、見ず知らずの赤の他人にまで分けてあげるとなると、気持ちは微妙に揺れてしまう。 すこしでも多く胃袋に収めたいのが人情。 とはいえ、隣の人を見てみない振りもできない。

 食べ物だけではない。 ありとあらゆる局面で、自分だけの幸せを求めてやまない自己愛を越えて、周りの人にでもなんにでも優しくなれるかどうか。 そして、そのまま行動できるかどうか。

 この辺りに、チャプリンのいう愛と勇気が秘められているのだろう。 ところで、サムマネーとは? いくばくかのお金が必要とは?

 食っていくだけ、生きていくだけなら、なんとかできる。 同じ生きていくにしても、自分の幸せだけを求めて他は知らん顔では気持ちが納まらない。

 ほんのちょっとお金があったらできるのに、貧しいが故に何もしてあげられない。 このもどかしさを味わうと、少しばかりお金に余裕を持ちたくなる。

 自分の贅沢のためにではない、世の中にお役に立てさせてもらいたい。 そのためにも、いくばくかのお金の余裕があれば、どんなに素適か。

 さわかみファンドを始めたのも、そんな思いを込めてのもの。 すこしずつでも積立てで長期投資していけば、誰もがサムマネーを手にすることができる。

 昨晩も、女性中心にそういった青臭いことを語り合う勉強会で、遅くまで盛り上がった。 こういう勉強会はもっともっと広めていきたいものだ。