二つの怪物

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 ようやく一段落したので、今日は腰を据えて前から書こうと思っていた大きなテーマに取り組めそう。 といっても、午後からは来客の後すぐ徳島へ。

 表題の二つの怪物とは、マネー至上主義と、それがもたらす短期志向を指す。 金融あるいはマネーは、経済活動の潤滑油というか血液の役割を果たすのが本来の姿。

 それが、いつの間にか金融というかマネーが実体経済を引きずり回すようになってしまった。 その昔、銀行をトップにした金融による企業支配が問題視されたことがある。 それとは違う。

 世界中で大量に生み出され続けているマネーが、短期利益を求めて激しく動き回る。 まるで恐竜である。 両眼がマーケットでの価格変動を左右に追うと、巨大な胴体としっぽは右左へと振られて、まわりの林をなぎ倒す。 林すなわち経済活動を踏みにじるわけだ。

 面倒なことに、マネーは各国で大量発行される貨幣だけではない。 それをはるかに上回る量のマネーが、与信つまり信用供与の契約やら、先物取引やら、レバレッジ取引や金融派生商品(デリバティブ)、あるいは証券化商品としていくらでも創り出されるのだ。

 そういった実体を伴わないマネーでも、受け取ってくれる人、つまり契約の相手側がOK を出せば通用する。 通用するのを良いことに、様々なマネーを無節操に創り出しては大暴れしたのが、世界的な金融バブルであった。

 そして、リーマンショックを迎えた。 金融バブルが膨れ上がっている間は、実体が「あるようで無いようで、あるはずだ」で、みなが突っ走った。 それが、ガタガタに崩れ出したのだ。 収拾のつかない大混乱に陥ったのは当然のこと。

 世界経済つまり実体経済に多大なマイナスを及ぼしてくれたわけだが、その犯人追求はできない。 なぜなら、世界中ほとんどの大銀行から投資銀行にはじまって、年金やら機関投資家やら企業の財務部門やら、みながバブルマネーの創出に関与していたのだから。

 これが、怪物たるゆえんである。 表向きはまともなマネーであって、その持ち主である銀行や年金たちはみなガバナンスだとかスチュアードシップコードとかの、きれいごとを並べている。

 ところが、ひとたび利益チャンスとなれば、彼らのマネーが野放図きわまりない存在に一変する。 それぞれ自己利益の最大化で、もうブレーキが利かなくなる。

 それどころか銀行や年金など、マネーの持ち主たちも部分最適の追求にのめり込んでいって、経済や社会の全体最適など全く考えない。

 やっかいなことに、この怪物はマネーの本質として、やたらと短期志向である。 そして、信用供与や証券化商品などで、いくらでも自己増殖してくる。

 さて、みなさんどうしようか? マネーという怪物は、誰もコントロールできない側面をもっている。 いま世界の現実は、膨れ上がる一途のマネーが、金融マーケットを通して実体経済を蹂躙している。

 われわれ一般生活者は、いい迷惑をこうむっている。 このままマネーに勝手気ままを許し、いいように蹂躙されるなんて楽しくはない。

 どうするか? 長期投資の価値観を広く世の中が共有するようにしていくことだ。 あくまでも実体経済をベースにした、長期志向のマネーをどんどん増やしていくのだ。

 短期志向のマネーは自己増殖機能を持っていて図体は巨大だが、中身はあるようで無いのがほとんど。 実物経済を背にした長期投資マネーからみれば、張子の虎のようなもの。 浮ついたところをドンと突いてやれば、たちまちしぼんでしまう。

 また、ゆっくり書くが、長期投資って本当にすごいものなんだよ。