日本経済は成熟化の段階に入って久しい。 どこの国の経済も、エネルギッシュな発展成長段階を経て成熟化していく。 日本経済も1950年代半ばから80年代後半まで、世界がうらやむほど超長期の高度成長を続けた。
あの頃は経済全体に勢いがあった。 よくセミナーで説明するが、企業も個人も皆が右肩上がりの三角形の中にいた。 企業ならば、大企業は右肩上がり三角形の上辺部に、中小企業は半ばあたりに、そして零細企業は下辺部に位置していた。
それぞれの企業は居場所にこそ違いはあるものの、大は大なりに小は小なりに生きていけた。 よほどのことがない限り、脱落や落ちこぼれは発生しなかった。
個人でいえば、学業に励み猛烈に努力した人は誰でも右肩上がり三角形の上の方へ登っていけた。 また、いまいち要領よく立ち回れなかった人でも、それなりに幸せな人生を送れた。
ところが、一国の経済が発展成長段階を経て成熟化してくるにつれて、右肩上がりの三角形は自然と消滅していく。 企業にしても個人にしても、これまで誰もが乗っかれた右肩上がりの三角形がなくなって、自分の力と努力で生きていくことが求められる経済段階になってきた。
右肩上がりの三角形がなくなった証明は簡単にできる。 かつての超有名企業が信じられないほどに凋落していっているではないか。 また、しばらく前まで日本では常識となっていた終身雇用や毎年のベースアップが、いつの間にか遠い昔の思い出になりつつあるではないか。
いまや多くの企業や個人が、自助の精神と努力で生きていかなければならないと自覚している。 その横で、いまだ右肩上がり三角形に乗っかる意識から抜け出せず、国などに頼るだけの他力本願の企業や個人が大多数でもある。 だが、そういったところは将来不安が高まるばかり。
これからどう生きていくかは、企業や個人がそれぞれ自分で判断して必要な努力を重ねるだけのこと。 もはや、右肩上がりの三角形はないのだから、自分で自分の足場をしっかりと固めていくしかない。 それが成熟経済での生き方である。
だからといって、成熟経済がダメというものでもない。 現に成熟経済で先輩のヨーロッパや米国では、いくらでも元気な企業や個人がいるではないか。 一方、脱落していく企業は後を絶たないし、失業率も高いとい厳しい現実もある。
大事なのは、自分はどちらを選択するかだ。 元気あふれる生き方を望むならば、自助の精神を高めて運も自分の意思と努力で引き寄せるだけのこと。
そこで個人の自助努力だが、自分も頑張って働くが自分のお金にも働いてもらう意識がベースとなってくる。 いってみれば、自分の働きが右足で、お金の働きが左足だ。 右足と左足でしっかりと二人三脚を組んで、堂々と生きていくのが成熟経済で一番確かな方法論となる。
お金の働きとは、もちろん長期で企業を応援していくことである。 お金の置き場所としても、こんな確かなことはない。