この長期投資家日記では、もう口が酸っぱくなるほどしつこく生活者にとってどんな企業が大事か、どういった企業に応援株主となりたいかを書いてきた。 今後も折にふれて繰り返すことになる。
今日は視点を逆にして、企業にとって望ましい株主とは、どんなタイプかを書き並べてみよう。 まず最初に頭を整理しておきたいのは、株式市場に公開されている企業で株主に対する意識が薄かったり、まったく欠如しているとしか思えない会社が結構ある。 そういった企業は、もう論外である。
株式市場に上場していて、株主に対する意識が薄い? よくいるじゃない、自社の株価にまったく関心を示さないサラリーマン経営者が。 そういった経営者に限って、自社株はほとんど保有せず、仕事上も銀行や得意先との関係ばかりを大事にする。
年に一度の株主総会も、ひとつの年中儀式として、どう乗り切るかを総務部職員に丸投げする。 大体からして、何のために上場しているのか、株式公開とはどんな意義と社会的責任があるのかを真剣に考えたこともない。
そして、証券会社から増資による資金調達の提案があった時だけは、できるだけ株価を引き上げて低コスト資金を大量に集めようとする。 増資が終われば後は知らん顔、それが昔から ”やらずブッタクリ増資” といわれているものだ。
やらず、ブッタクリ? 株主から大量の資金を預かった、これは有効に活用しなければ申し訳ない、経営者としての意識と責任が問われる、といった風には考えない。
証券会社が引き受けビジネスとして増資を提案し、うちはそれに乗っただけとしゃあしゃあ顔。 だから、増資後の株価下落にも投資家の自己責任でしょで、他人事のように受け流してしまう。
いまどき、そんな経営者はいない? たしかに、やらずブッタクリは株価低迷もあって少なくなっている。 しかし、長期の株価低迷に対し株主に迷惑をかけている、一刻も早く株価が上がってほしいと、真摯に願って努力を重ねている経営者が、果たしてどれだけいようか。
長くなったが、ここまでの前置きで株主意識が薄かったり欠如している企業のイメージはもてたと思う。 ここからが、本論である。 週末前ということもあって、今日の長期投資家日記はちょっと長くなりそうだ。
企業にとってありがたい、あるいは理想とする株主像とはどんなものだろう? それは企業によって、またビジネスのタイプによって大きく違ってくる。
先ず、電力やガス・水道といった公益事業。 ビジネスとして利益獲得を最大化させようとすると、公益料金を引き上げることになり、生活者の負担を増してしまう。 やはり、事業の永続的な安定性を優先し、株主へは配当で報いるのが筋となる。 もっとも、日本の電力会社の政官との癒着やコスト意識のなさは、公益事業としてあるまじきことである。
次に、一般のビジネス。 これには小売りや食品・化粧品・家電・自動車など消費者に近いビジネスもあれば、化学や機械・部品・素材など顧客がメーカー企業といったところもあって千差万別である。
ところが、それぞれの企業にとってが望ましい株主像となると、まだそれほど前面に出てきていない。 せいぜい、機関投資家と個人投資家の色分けぐらいで終わっている。
どの企業も機関投資家は運用のプロであり、大口投資家だから大事とばかり、自社を良く知ってもらおうと IR 活動に以前から力を入れている。 最近になって、個人投資家向けの IR 活動も徐々に立ち上がりだしたところである。
ここからが問題である。 機関投資家というものの、海外の年金など個別企業への中長期投資を専らとするところは、ほんの一部にすぎない。 大半を占めるのが、ヘッジファンドなど短期指向の大口運用会社と、日本の生保や信託銀行といった機関投資家である。
ヘッジファンドの運用はインデックスの売買をベースとして、株式を裁定取引の道具に使うだけ。 日本の機関投資家による日本株運用の80%近くがインデックス運用となっている。 個々の企業のリサーチとか業績動向なんて、実はどうでもいいのだ。
この現実に対しては、個々の企業がしっかり考えなければならないところである。 株式市場に上場している意義を株主と共有するにも、果たしてどれだけの機関投資家株主とまともな話ができるのか。 一方、個人投資家の多くは相変わらずの相場追いかけ型で、株を買って儲かればいいに終始している。
そろそろ、結論に行ってしまおう。 もう、そう遠くない将来に、生活者株主という存在の重要性を企業は意識せざるを得なくなろう。 われわれの時代である。