明日で、さわかみグループの前身である、さわかみ投資顧問株式会社を設立して30周年となる。
九段下にオフィスを構えて最初にやった仕事は投資助言業務の認可申請だった。
投資家顧客が儲かったら報酬をいただくパフォーマンス・フィーの料率体系で申請したから、ちょっと時間がかかった。
それでは、経営の安定性が保てないと指摘されて、助言契約1件当たり10万円の契約料を徴収することで認可を得た。
それ以外は、やること全くなし。 小さなオフィスだったが、自分一人だけだから十分に広い。
もともと営業などする気はなかったし、名刺なども前職のピクテに置いてきたから、電話をかけることもない。
超のつく暇をもてあそんでいたら、株式投資の本を執筆しないかという依頼が舞い込んできた。
ちょうど良い暇つぶしだということで、猛烈に書き進めたのが、「この3年が日本株の勝負時」である。
当時はまだ、90年代に入ってからのバブル崩壊で日本株全体は長期低迷に喘いでいた。
それで、ことあるごとに日本株は絶好の買い場だと訴えていた。 そんな訴えが、新著の執筆につながっていったわけだ。
96年の9月24日に出版となったが、いい感じで売れていった。 つれて、電話が舞い込むようになった。
新著を読んでの電話だから、話は早い。 助言契約が次々と締結されていった。
契約のため、オフィスにお出でいただいた皆さん、異口同音に「一人でやっているの?」と驚かれたものだ。
助言顧客数は順調に伸びていったが、株価全般が長期低迷していたこともあって、どの口座も良いスタートが切れた。
来客も増えたし、助言顧客への事務連絡もひんぱんになってきたので、97年の5月頃からお手伝いに来てもらうことにした。
株価全般も徐々に底入れしだしたから、わが社の投資助言ビジネスは順調に拡大していった。
つれて、社員も増えていって、最終的には11名を小さなオフィスに詰め込むことになった。
机がびっしりと埋まっていて、自席に着くのにつま先歩きを強いられたものだ。
98年の12月に、橋本首相による日本版ビッグバンで、投信業務が免許制から認可制になった。
その寸前まで、免許基準に達するには預かり助言資産3000億円以上を覚悟していた。
なのに、投信ビジネスの可能性がパッと広がってくれた。 3日後に書類を準備して大蔵省に出向いた。
担当者は、あまりに早い認可申請、それも独立系ということで、どう扱って良いのか困惑した。
そんなこんだで始まった投信ビジネスと、それ以降のグループ各社の発展は、またの機会に話しましょう。
