気がついたら、アナリストに

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いまから55年前、スイスはジュネーブで長期投資の仕事に就いた。 その頃の話。

ジュネーブに有名な国際問題研究所があって、そこの博士修士課程に入所して、その足で新聞広告を出した。

日本人のドクターコースの学生が仕事を求めてます。 英語とフランスができますと。

そしたら、21通の返事が届いて、最初の3件で面接を受けた。 どれもすんなり合格となった。

3件の中で、一番というかダントツに知的な雰囲気の会社に魅かれて、そこでのバイトを決めた。

なんの事前知識もなかったが、米大手運用会社キャピタル・リサーチ社のヨーロッパ本部だった。

1日2時間で週5日という条件で、バイト仕事は始まった。 それでも、前年まで勤めていた松下より月収は高かった。

日本の主として経済や企業関係の情報を英語にまとめるという職務だったが、社内の雰囲気が半端ではない。

とんでもなく高いレベルの仕事をやっているのが、ひしひしと伝わってくる。

なんだか、よく分からないが興味津々。 英語にまとめる仕事への注文が、やたらと高いではないか。

これは面白いぞとなって、3週間目に会社に願い出た。 仕事もっとやりたいので、2時間を超えて会社にいさせてくれと。

そしたら、即座にNO、契約は2時間だと。 いやいや給与条件は今のままで十分、ただもっと仕事やらして欲しい。

そういったら、条件は契約のままだぞと念を押された後、好きにしろと会社の鍵を渡してくれた。

ありがたい、これで国際問題研究所のゼミなど必須科目に出席以外は、ずっと会社にいられる。

それから5年弱、1日16時間ぐらい仕事に集中した。 もちろん、土曜も日曜も無しでだ。

なんでまた? 世の中に、こんなにレベルの高い男たちがいるのかよ、すこしでも追いつきたいと強烈に憧れた。

その憧れが、自分をメチャメチャに仕事に駆り立ててくれた。 見よう見まねで、彼らの仕事を学んでいった。

社員教育の制度などはない。 ちょっと上の先輩に叱られた。 なにが悲しくて将来の競争相手を手助けしてやらねばならないのだと。

誰も教えてくれなければ、自分で習得するしかない。 膨大な書庫からアニュアルレポートや企業関連情報を読み込む。

それでもって、企業分析のレポートに仕上げる。 そして、先輩のレポートと比べてみては、レベルを上げていく。

当時はすべて手計算で企業分析の計算をこなしていく、気の遠くなるような作業の連続だった。

当時、米国を中心に勃興しだしていた証券分析の仕事を、なんと長期運用会社の現場で学習していったというわけ。

いつの間にか、バイトの身分からはじまった自分が、アナリスト、ファンドアドバイザーとなっていた。