お金をまわす文化

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昔から日本には、講とか無尽といった、お金を融通する文化が各地に存在していた。

それが明治になって、郵便貯金とか銀行預金という制度の登場で、自然と立ち消えとなっていった。

それと同時に、余裕のある人がお金を必要とする人に融通する文化が失われてしまった。

代わって、余裕資金は預貯金で利殖にまわすといった経済的価値観の追求が一般化していった。

お金を融通するというのは無償の行為であって、そこには思いやりとかお互いさまといった精神が流れている。

でも、結果的には、余っている資金が必要な人にまわって有効活用されることになる。

それでもって、経済の拡大再生産にはプラスの働らきをしてくれるわけだ。

その点、預貯金などの利殖は郵便局や銀行経由で資金が経済の現場にまわっていく制度である。

どちらも、お金がまわっていって、経済の拡大再生産に寄与するという面では、同じである。

しかしながら、利殖の場合は資金の出し手は、あくまでも利殖が目的であって、自分さえ良ければでしかない。

ただただ利殖だ、お金だといっていると、自分さえ良ければの殺伐とした社会に陥りかねない。

ところが、お金をまわしてあげようとする融通には、頑張ってねとかお互いさまといった気持ちがついてまわる。

それは、人間という集団生活を営んで社会を構成していく生命体には不可欠ともいえるものである。

さわかみグループが目指している、より良い社会をつくっていこうよでは、その気持ちや思いが大事となる。

間違えても、ただお金が増えればいいで、無機質に儲け儲けに走ることはない。

お金お金でガツガツすることなく、また自分さえ良ければ後は知らんといった無責任はない。

やはり、融通の精神でもって、思いやりとか優しさとか皆で頑張っていこうねを貫いていく。

幸い、われわれ本格派の長期投資家は、世の中に良かれという長期投資を推し進めている。

企業を熱く応援していく投資でもって、相場暴落時などに経済の現場へ資金を供給する。

それを、リスク資金の供給というが、皆が売り逃げに走っている時に、どうぞと現金をまわしてやるのだ。

その根幹には、融通の精神が脈々と流れており、より良い世の中をつくっていくのだとする強い意思がある。

そういった長期投資で殖えていったお金を、カッコ好くつかうことで、さらに社会にまわしていくのだ。

どれもこれも、皆で良くなっていけば、より楽しいではないかだ。