豊かさの反動、そして衰退

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 日本経済や社会に蔓延している停滞感というか覇気のなさは、一体どこから来ているのだろうか? 少子化や高齢化がもたらす、いわゆる老大国化だけだろうか?

 たしかに、若年層人口がどんどん増えているインドネシアやフィリピンなどで常態化している騒々しいまでの若々しい勢いは、現在の日本に望むべくもない。 ただ、それだけだろうか?

 1970年代にはエコノミックアニマルといわれ、80年代からは国を挙げて働き過ぎにブレーキをかけてきた日本が、どうしてここまで活力を失ってしまったのだろう?

 ひとつ歴史から学ぶヒントがある。 それは、かつて輝くばかりの栄華を誇った国や民族さらには人々が、その豊かさゆえに一層の富を求めようとする向上心を失い、日々の生活を享楽的に時として退廃的に過ごしていく。 そのうち、享楽的あるいは退廃的な生活が人々の間で体質化していって、豊かさを食いつぶしながらみるみる没落していく。

 そう、豊かな社会を実現したが故にさらなる向上心を失い、築き上げた豊かさを食いつぶしつつ日々を過ごす生活の体質化が、現在の日本にはびこっているのではなかろうか?

 その典型が、”まだなんとかなる。 そうガツガツしなさんな、もっと人生を楽しもう” といったスローライフを賛美する風潮であり、”いざとなれば、国がなんとかしてくれるはず”、といった他力本願の甘え症だろう。

 なんとかならなくなったら、一体どうするのだろう? 国なんて借金で真っ赤かで、いつどこでパンクするか知れたものではないというのに、なにが期待できようか?

 自分の食い扶持は自分で確保していこうとする生命力が薄れていって、誰の助けも得られないまま没落していった人々の姿を、古今東西の歴史はいやというほど示してくれている。 それを学ぼうとしないのが、そもそも豊かさの反動であり、没落の始まりなんだろう。

 ちなみに、日本の高齢者層は逃げ切り世代を満喫している人々もいれば、年金の将来不安におののきつつ貯金を必死に抱え込む人たちもいる。 どちらも現時点までは、なんとかなっているかもしれない。

 しかし、将来的にもなんとかなる保証はない。 一般予算から補てんを受けつつ綱渡り状態を続けている年金財政だ、100年安心を唱えている役人の言葉を信じていられようか。

 高齢者層も自助の意識を取り戻すといい。 よほどの高齢者以外は、いまからでも長期投資で自分年金づくりを始めるべきだろう。 せっかく、809兆円の個人預貯金の60%を保有しているのだ、その武器を有効に使わない手はない。

 上手い具合に、さわかみファンドのような自分年金づくりにピッタリの長期投資商品もある。 15年を超す長期間の運用実績は、複利年率で4.81%だ。(昨日現在)

 15年で年率4.81%というのは、それほど大したことないと思われるかもしれないが、平均株価の2倍以上の成績である。 年金などがしがみついている10年物国債の11倍、あるいは年0.02%にしかまわらない預貯金に対しては2400倍の成績差である。

 もちろん、投資なんて嫌だ預貯金のままでいいといって、このままユデガエル状態でいくのも高齢者それぞれの自由。 ただし、自助自立心なき者は時代の藻屑となって消えていく、それが歴史の語るところでもある。