経済合理性は、常識といってもいい

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日銀が昨日今日の政策決定会合で、どのような方向を打ち出してくるかに関心が高まっている。

といっても、マーケットの関心は長期金利の抑え込み上限を、果たして日銀は引き上げるかどうかだ。

12月に突如として、それまでの0.25%を0.5%へと引き上げた。 いまは、その0.5%の攻防がどうなるかだ。

海外の投機筋を中心に、10年物国債へのカラ売りが続いている。 それで、先週には0.55%までつけた。

市場関係者や投資家からすると、今日の午後どんな政策が打ち出されるか、さぞヤキモキしていることだろう。

ところが、経済の常識で考えると、日本の金利は上昇して当たり前である。

なにしろ、たとえば日米の金利差が3%を超えているのだから、その3%の金利差を求めて米国へ流れ込んでいくのは止めようがない。

では、いつまで、どこまで日本から米国への資金シフトが続くのか?

日本からマネーがどんどん流出し、日本国内が資金不足となって、国内の金利が上がりだし米国水準に到達するまでだ。

この資金シフトは、経済では当たり前の現象である。 いかに日銀といえども、止めようがない。

なのに日銀は、連日のように巨額の資金を投入して、売りが出てきた国債を片っ端から買いまくっている。

先週も2日間で10兆円を超す国債を買い付けた。 まったくをもって、ムダな抵抗である。

経済の常識では、売りが出てきているなら、十分なる買いが集まるまで放置しておけば、どこかで下げは止まる。

そこまでは、国債の価格下落が続くものの、それが市場の価格形成ということになる。

こんなのは当たり前の話。 それに対し、日銀が国債価格の下落は認めない、金利はあくまでも上げさせないというのは、不合理きわまりない行動である。

もちろん、日銀にはそういったムダな抵抗を続けなければならない事情があるのだろう。

されど、いかなる事情があろうとも、経済合理性に逆らって勝てるわけがなく、その代償は高くつくだけである。

ムダな抵抗の代償として、巨額の国債を買い込んだ日銀が大きな評価損を抱え込んで債務超過に陥ったら大変。

中央銀行の信用失墜は通貨価値の下落を招き、それでなくても高まってきているインフレの火に油を注ぎかねない。

その方向にひた走っている日銀の責任は、きわめて重い。

その時には、もう黒田さんは退任しているのだろうが、国民はたまったものではない。