儲かってしまう、それが投資だ

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月曜日のセミナー、1時間半の予定だったものが、3時間近くも熱弁をふるった。

投資は将来に向けて、お金に働いてもらうことだ。 将来をつくっていく作業ともいえる。

ということは、投資しようとする人間が「どんな将来をつくっていこうとしているか」のイメージを持つ必要がある。

すなわち、将来に向けての自分の夢や思い、そして意思を持たなくてはならない。

ところが、世に一般的な投資では、お金を増やしたい、儲けたい、損したくない、そればっかり。

夢や思い、そして意思などは無用で、とにかく儲けることだと、眼を吊り上げる。

価格変動を追いかけては値幅を取りにいくディーリング運用なら、それでいい。

そういったディーリング運用に、夢を思いそして意思など無用、かえって邪魔になる。

なにしろ、激しい値動きを捉えて値幅を稼ごうとするのだから、ひたすら無機質に価格変動を追い回すしかない。

必死に価格変動を追いかけるものの、価格変動なんて気ままに方向を変える。

その結果、価格変動に振り回されることもしばしば。 その都度、痛いやけどを負う。

それで、世に一般的な投資では、リスクが大きいとか難しいとかの嘆き節が、あちこちから聞こえてくることになる。

一方、投資は将来をつくっていくことだから、どんな将来かのイメージがなくては身動きが取れない。

だから、夢を思いそして意思が必須となる。 また、それなりの時間もかかる。

その代わり、なんらかのリターンは必ず得られる。 ちょうど、コメ作りなど農作業と同じである。

春に種をまいて、梅雨時にたっぷりと水を吸い、暑い夏の陽ざしを浴びて、秋の実りを待つ。

から梅雨とか、冷夏とか、台風の暴威とかで、コメの出来は大きく左右される。

それでも、毎年なんらかの収穫はある。 投資で儲かってしまうは、このイメージである。

種をまく時はまくし、梅雨時や暑い夏を超えないと、秋の実りは期待できない。

投資すべき企業を選び、株価の安い間に応援買いを入れる。 春先に種をまくコメ作りとまったく同じである。

種をまいて、つまりこれはと思う企業の株式を応援買いした後は、秋の実りを待つだけだ。

すなわち、しばらく前に情け容赦なく売り叩いていた投資家たちが、にわか応援団に一転して猛烈に買ってくるのを待つ。

そこが、秋の収穫時であり秋祭りである。 儲けは後からついてくるのを楽しむわけだ。

長期投資なんて、これだけのことである。